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15 バイト追加 、 2022年9月10日 (土) 17:37
『後漢書』夫余伝に見られる建国神話は、以下の通り。
<blockquote>初,北夷索離國王出行,其待兒於後妊身,王還,欲殺之。侍兒曰:“前見天上有氣,大如雞子,來降我,因以有身。”王囚之,後遂生男。王令置於豕牢,豕以口氣嘘之,不死。復徙於馬兰,馬亦如之。王以為神,乃听母收養,名曰東明。東明長而善射,王忌其猛,復欲殺之。東明奔走,南至掩淲水,以弓擊水,魚鳖皆聚浮水上,東明乘之得度,因至夫餘而王之焉。<br />
<br />昔、北方に索離国という国があり、'''王の婢が言われなく身籠ったため、王はこの婢を殺そうとした。'''婢は「天空に神聖なる気が立ちこめ、私に降り注いだために身籠ったのです」と答えた。王はこの婢を'''軟禁し'''、後に男子が生まれた。王はこの子を豚に食べさせようとして豚小屋の前に置いたが、案に相違して豚は息を吹きかけてその子を守ろうとし、死ぬことがなかった。王は今度は馬小屋に持っていったが、馬も同じようにその子を守ろうとした。王はこれは神意を表すものと思い、その母を許してその男子を東明と名づけた。東明は成長して弓術に優れたので、王は東明の勇猛振りを恐れて、これを殺そうと考えた。そこで東明は南方へ逃走し、掩淲水に至った。川に向かって東明が弓を射ると、魚や鼈が浮かんできて橋を作り、東明はこれに乗って渡り逃れることができた。そして夫余の地に至って王となった。(後漢書、巻八十五)<refgroup="私注">王が婢を殺そうとした点、王が婢を監禁した点が、天の岩戸で須佐之男が天照大神(と織女)に狼藉を働いた点、天照大神が岩戸に閉じこもった点に対応する。</ref></blockquote>
「夫余の始祖としての東明」の伝説は、古くは『論衡』吉験篇にみられる。また、『三国志』夫余伝が『魏略』からの孫引きとして伝えており、これらの史書の中の高句麗伝では、始祖伝説は見られない。『魏書』に至って夫余伝はなくなり、代わりに高句麗伝のなかで高句麗の始祖伝説が伝えられるようになった。その伝説の骨子は、元来の東明伝説(夫余の建国神話)に、河伯(水神)の外孫であること、卵生であること、という要素が加わって、高句麗が夫余から出たこと、名を朱蒙とするというものである。また、東明伝説において東明が弓術に優れていたとするのと呼応するように、「朱蒙」という語は「善射」を意味する、とも書かれる。後に高麗の時代になって、『三国史記』では、高句麗の始祖を「諱が朱蒙、諡が東明聖王」とするようになり、李奎報の叙事詩『東明王篇(동명왕편)』においても、高句麗の始祖を東明王と同一視するようになった。さらに『三国遺事』では民族的統合の象徴として檀君に系譜化され、「'''東明王である朱蒙は檀君の子である'''」とされるようになったと考えられている。

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