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中国国民党の政治家で中国古代史に深い造詣があった呉国楨(1903 - 1984年)は、その論文の中で炎帝の「炎」と、彼の伝えたと信じられている焼畑農業の炎との関係を論じている<ref> Wu, K. C. (1982). The Chinese Heritage. New York: Crown Publishers. [https://archive.org/stream/chineseheritage00wuku#page/56/mode/2up]</ref>。
 
== 神農氏 ='''
'''神農氏'''(しんのうし)は、古国時代の伏羲女媧政権]と黄帝有熊氏の間の時期に存在したとされる、伝説上の'''姜姓の氏族'''である。また、黄帝有熊氏、蚩尤と同祖であるとされる<ref group="注釈">伝説上は、黄帝と炎帝がそれぞれ姫水・姜水のほとりで生まれた兄弟であり、蚩尤と神農氏はともに'''姜姓'''であるとされる。</ref><ref group="注釈">ただし、ここでの炎帝は、後述の通り、神農氏とは限らない。また、黄帝は少典氏出身とされている。</ref><ref>[https://ctext.org/guo-yu/zhou-yu-shang/zh 國語]</ref><ref name="帝王" />。
 
=== 概要 ===
伝説では、紀元前3000年頃、[[神農]]が即位し、初代炎帝となった。都を[[淮陽区|陳]]に置き、[[補遂国]]を滅ぼしたとされる。また、[[風沙]]が起こした反乱を鎮圧し、[[茶]]の栽培を発明したとされる。
 
しかし8代炎帝楡罔の時期には、姜姓で同族にあたる蚩尤に敗れ、軒轅(後の[[黄帝]])に助けを求め、炎黄連合軍で蚩尤を破った([[涿鹿の戦い]])が、[[阪泉の戦い]]で黄帝に滅ぼされた。これにより、黄帝有熊氏による支配が始まった<ref name="帝王" />。
 
これについては、風姓氏族([[伏羲女媧政権]])から姜姓氏族(炎帝神農氏)、そして姫姓氏族([[黄帝有熊氏]]以降)へ政権が遷った事は、伝説ではあるが、そのモデルとなった出来事があったのではないかという意見が存在する(=[[疑古#否定 (信古・釈古)|信古派]])。
 
=== 炎帝 ===
炎帝号に関しては、[[大庭氏 (古国)|大庭氏]]が炎帝を名乗ったとされ、炎帝号は[[神農]]が新たに創始した称号ではなかったとされる。また、大庭氏の時代、[[風 (姓)|風姓]]の8氏族に代わり、[[姜|姜姓]]の5氏族が中華を治めるようになり、そのうち最も有力であったのが後の神農氏である、とされる<ref name="帝王">[https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&chapter=838808 帝王世紀]</ref>。
 
=== 帝室 ===
これらは全て伝説上のものである事に留意。
*[[神農]] (1)  51年間在位。
*[[臨魁|帝臨魁]](2)  60年間在位。
*[[承 (古国)|帝承]] (3)  3年間在位。
*[[明 (古国)|帝明]] (4)  54年間在位。
*[[直 (古国)|帝直]] (5)  23年間在位。
*[[来|帝来]] (6)  54年間在位。
*[[哀|帝哀]] (7)  51年間在位。
**[[節莖]]  帝哀の子。
**[[克]]   節莖の子、帝楡罔の父。
*[[楡罔|帝楡罔]](8) 55年間在位。[[阪泉の戦い|阪泉で敗れ]]滅亡。
 
また、[[飛龍氏]]、[[潜龍氏]]、[[居龍氏]]、[[降龍氏]]、[[土龍氏]]、[[水龍氏]]、[[青龍氏]]、[[赤龍氏]]、[[白龍氏]]、[[黒龍氏]](黄龍氏)の氏族が太陽神・神農の子孫として支配したとされるが、当時の「氏」を[[古国時代#原初諸氏|太古時代]]のように個人として扱う場合は、10代8帝の帝室と符合する<ref group="注釈">[[羿|殷の九陽撃墜神話]]の初期条件とも酷似しているため、注意が必要である。</ref>。
 
=== その後 ===
[[阪泉の戦い]]での滅亡後、一族は四散したとされるが、これは西に逃れた先<ref group="注釈">孤竹国の君主であったならば、[[孤竹国]]は[[河北省]]周辺にあったとされるため、北東に逃れた事になる。</ref>の[[羌族]]と同化した一族である。[[伯夷・叔斉]]については詳しく記録があり、[[孤竹国]]の君主となったともされる。
*[[炎居]] 帝楡罔の子<ref>《山海経 海内経》「[[楡罔|炎帝]]之妻,赤水之子聴訞生炎居,炎居生節並,節並生戯器,戯器生祝融,祝融降処于江水,生共工,共工生朮器,朮器首方顛,是覆土壌,以処江水。共工生后土,后土生噎鳴,噎鳴生歳十有二。」</ref>。
*[[節並]] 炎居の子。
*[[戯器]] 節並の子。
*[[祝融]] 戯器の子。火事の象徴とされる<ref group="注釈">[[共工]]と対立していたとされる。</ref>。
*[[共工]] 祝融の子。水害の原因とされる<ref group="注釈">中華王朝の仮想敵と見做されることが多く、複数の時代にこの名が見られる場合がある。</ref>。
*[[勾龍]] 共工の子。
*[[夸父]] 勾龍の子。
*[[竹猷]]
*[[亜微]] 竹猷の子。
*[[伯夷・叔斉]] 亜微の子。[[武王克殷]]に反対し、餓死。
 
後にこの一族は[[呂]]を姓とした。また、末裔に太公望([[呂尚]])や[[呂不韋]]([[秦]]の[[丞相]])がいるともされる。しかし、[[伯夷・叔斉]]は墨胎氏の子允(公信)・子致(公達)<ref group="注釈">それぞれ[[姓]]+[[諱]]([[字]])という表記である。</ref>とされており、[[子 (姓)|子姓]]であった事となり、伝承に混乱がみられる。
== 信仰 ==

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