イェンゼンの解釈は漠然とし過ぎていると考える。「二種の面相」とは「月」と「イモ」のことなのだろうか? しかし、物語はそのような単純な内容ではない。ムルア・サテネは「バナナの女神」でもあるのだから、ムルア・サテネとハイヌウェレとラビエが「同じ者」であるならば、少なくとも彼女たちは「月」と「イモ」と「バナナ」の三相があるはずである。それなのに、動物から植物が生まれたり、植物から特異な人間(ハイヌウェレ)が生まれたり、単に「三相」だけでは済まない多彩な要素を含みながら物語は展開する。
ヴェマーレ族の指導者は女性なので、これはかつて、彼らが「母系社会」であったことを示す名残であると思う。古代のオーストロネシア語族の母系社会の頂点に君臨する女神は「<span style="color:red">'''太陽女神'''</span>」であると思われるので、それを前提として考察を進める。要は、「'''ムルア・サテネとは太陽女神であった'''」ということから話を始める。