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1,868 バイト追加 、 2022年7月26日 (火) 13:28
 <span style="color:brown">'''歴史的考察についてのまとめ'''</span>。母系社会において、太陽女神が母女神であった時代には、アメタは女神に生贄を捧げて豊穣を求める存在、'''女神を支える存在'''だった。そもそも「太陽女神」とは、天にある太陽を神格化し、擬人化・擬動物化したものといえ、人の世界では人間が「神の化身」とか「神の代理人」と考えられたであろうが、特定の個人を指すものではなかった、と考える。例えばネパールのクマリのように「人としての太陽女神」は'''女神でもあるが一定の条件を満たせば、次の者にその地位が継承されるもの'''でもあったと思われる。たとえ女神が終生女神であったとしても、人としての死が訪れれば、その地位は自然的に次の女神に受け継がれる。それは現代的には首相とか大統領といったような「'''職能'''」のようなものだと考えた方が理解しやすいかもしれない、と思う。一人一人の代々の女神は、人間でもあり寿命もあるが、その地位が代々途切れなく継承されることで、「'''太陽女神は永遠のもの'''」となるのである。ハイヌウェエレ型神話に当てはめれば、「ムルア・サテネ」は「女神としての職業」であり、「ハイヌウェレ」は「代々のムルア・サテネの内の一人」ということになろう。どちらも「同じ女神」なのだが、「ムルア・サテネ」は個人ではなく、「ハイヌウェレ」は'''個人'''なのである。なのである。ヴェマーレ族がハイヌウェレ神話に基づく祭祀をどの程度行っていたのかは定かでないが、これが単なる神話の内に留まり、祭祀として定期的に行う形式がなければ、「ハイヌウェレ」は'''個人'''の域を出ない。神話の中で、アメタが「不幸な出来事」と考えたように、一人の少女が不幸な死に方をした、という個人の物語である。この神話に沿った祭祀がある程度存在していれば、祭祀の度に「ハイヌウェレ」の役を務める者が必要となる。これについて人間の娘を生贄にするのか、イモ類を代替にするのか、あるいは他の者を代替とするのかは文化や考え方の差によろうが、人や何かを殺すこと、を「連続的」に常に行うことは不可能である。(そのようなことをしたら、しまいには部族は一人もいなくなってしまうであろう。)とすれば、「ハイヌウェレ」は「常に存在する」というような連続性のある存在とはなり得ず、「職能」とみなすとしても、それは「祭祀の時だけ」というように断続的な存在にしかなり得ない。「ハイヌウェレ」は「ムルア・サテネ」のように「'''永遠'''」の存在にはなれない。「ムルア・サテネ」と「ハイヌウェレ」はこのように、「同じ者」であっても「異なる者」なのである。よって、「ハイヌウェレ」の死と共に、「ムルア・サテネ」の'''職能や権限の狭小化、死'''、が誕生するのであれば、そのような思想は、本来のムルア・サテネの全能性に沿わない思想であるため、'''後から人為的に付け加えられたもの'''と言うしかないのである。  
アメタは女神の親族だが、生贄は「種(たね)としてのよそ者」であって、本来はアメタと区別される存在だった。生贄は、豊穣を求める動物や植物と一体化することを象徴するために、'''生贄の動植物と共に生贄に捧げられ埋められたりした'''。概念的なものだけでなく、現実にも人間の生贄を他部族に求めるようになれば、当然他部族との軋轢が生じる。結果、'''種'''扱いしかされなかったよそ者の生贄が反乱を起こし、ある程度女神の地位にとって代わることになったのだと思う。それが'''豚の太陽'''である。生贄になるはずだったものが、逆に太陽女神を殺し、自らが太陽神を名乗るようになった。そして、その子孫も自らを「'''豚の太陽'''」の化身と名乗るようになったが、一方豚は「'''生贄の動物'''」でもあり続けたので、「'''豚は神なのか、それとも神に捧げる生贄なのか'''」という点で混乱が生じることになった。また太陽女神を始めとして殺された神々は、それぞれに職能があったために完全に排除することはできず、新たに作り直したり、焼き直したりする必要があった。そこで、'''古き神々を神とするのか'''、それとも'''反乱を起こした英雄を神とするのか'''でも混乱が生じることになった。古き神々を「神」とするならば、彼らを倒した英雄は悪者で、せいぜい邪神にしかなり得ない。瓜子姫に害をなしたアマノジャクのようなものである。反乱を起こした英雄を正しい神とするならば、古き神々はまさにヤマタノオロチのような悪神ということになる。問題の解決法の一つとして、神々を「何でも同じ物」として一つに纏めてしまう方法が試みられたのだと思う。特に男性神を「古き神と新しい神の二つをまとめた存在」としてしまったために、アメタは女神に仕える存在だったのに、その一方で女神を殺して食べてしまう存在にもなる、という矛盾を含む神話が、矛盾を中途半端に解消しようとしたまま作られてしまったのだと思う。実際、これは「黄帝と蚩尤が同じ物」であるとしたり、「テーセウスとミーノータウロスが同じ物」であるとすることと同じなので、物語が伝播する過程で、各民族、各氏族に神話作家達が混乱した物語を作り出してしまっても仕方にないことといえよう。

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