日本では弥生時代以来、蛇への信仰が根強く、稲荷山も古くは蛇神信仰の中心地であったが<ref>中村, 2009, 中村雅彦, 「稲荷山をめぐる神仏イメージ」</ref>、平安時代になってから狐を神使とする信仰が広まった<ref>中村, 2009, 中村雅彦, 「習合神としての稲荷神」</ref>。稲荷神と習合した宇迦之御魂神の別名に御饌津神(みけつのかみ)があるが、狐の古名は「けつ」で、そこから「みけつのかみ」に「三狐神」と当て字したのが発端と考えられ、やがて狐は稲荷神の使い、あるいは眷属に収まった<ref>川口, 1999</ref>。なお、「三狐神」は「サグジ」とも読む<ref>松村, 2012c</ref>。かつて「シャグジ(石神)」または「三狐神(シャグジ)」であった岩屋(神)が、後に稲荷神・ウカノミタマを祀る神社となった事例もある<ref>伊勢市役所, 2010</ref>。時代が下ると、稲荷狐には朝廷に出入りすることができる「命婦」の格が授けられたことから、これが'''命婦神'''(みょうぶがみ)<!--あるいは白狐神-->と呼ばれて上下社に祀られるようにもなった<ref>川口, 1999</ref>。
上記の通り稲荷神は元々は農業神であるが、狐は穀物を食い荒らすネズミを捕食すること、狐の色や尻尾の形が実った稲穂に似ていることから、狐が稲荷神の使いに位置付けられたとも言われる{{Sfn|<ref>中村|, 2009|loc=[[, 中村雅彦]], 「キツネが神使となった理由」}}</ref>。
江戸時代に入って稲荷が商売の神と公認され、大衆の人気を集めるようになった。<!--{{要出典範囲|date=2018年8月|稲荷狐は稲荷神という誤解}}が一般に広がった。要出典範囲:2018年8月:稲荷狐は稲荷神という誤解が一般に広がった。-->またこの頃から稲荷神社の数が急激に増え、'''流行神'''(はやりがみ)と呼ばれる時もあった{{Sfn|<ref>山折|, 1999}}</ref>。また仏教の[[荼枳尼天]]は、日本では狐に乗ると考えられ、稲荷神と習合されるようになった{{Sfn|<ref>大森|, 2011|pp=30, pp30-45}}{{Sfn|</ref><ref>入江|, 2008}}。今日稲荷神社に祀られている狐の多くは[[妖狐#様々な種類の妖狐|白狐]](びゃっこ)である{{Sfn|</ref>。今日稲荷神社に祀られている狐の多くは白狐(びゃっこ)である<ref>大森|, 2011|pp=2, pp2-30}}</ref>。
江戸などの大[[都市#都市の類義語|都会]]や、屋敷稲荷を祀る[[東日本]]の[[農村]]では、[[狐憑き]]はしばしば稲荷との関連で発生しており、症状が良性である場合も多い{{Sfn|福田|神田|新谷|中込|1999|p=468}}。一方で、もともと狐信仰が弱かった[[山陰]]・[[南四国]]・[[東九州]]などの一部では、「憑き筋」と呼ばれる[[家系]]が想定され、村落の社会的緊張を生んだ{{Sfn|福田|神田|新谷|中込|1999|p=468}}。