== 人物像 ==
八面大王については二通りの見方がある。ただし[[坂上田村麻呂]]の[[史実]]を反映した伝説ではない。八面大王については二通りの見方がある。ただし坂上田村麻呂の史実を反映した伝説ではない。
;[[英雄]]
:坂上田村麻呂の北征の際、途上にある信濃の民に食料などの貢を強い、それを見かねた八面大王が立ち上がり、田村麻呂と戦った。
;[[鬼]]
:民に迷惑をかけ、鬼と呼ばれていた八面大王を、田村麻呂が北征の途上で征伐した。
== 八面大王に関する場所 ==
<ref>中島博昭、『安曇野に八面大王は駆ける』、出版・安曇野(1983)</ref>
;[[魏石鬼窟]]
:坂上田村麻呂に対抗するためにたてこもった岩屋。
;合戦沢
:[[中房温泉]]近くにあり、田村麻呂と戦ったとされる場所。中房温泉近くにあり、田村麻呂と戦ったとされる場所。
;大王神社
[[画像:Daio wasabi farm05s1920.jpg|thumb|200px|大王神社]]:[[大王わさび農場]]の中にあり、八面大王の胴体が埋められていると伝えられる場所。大王わさび農場の中にあり、八面大王の胴体が埋められていると伝えられる場所。
;大王社
:八面大王の胴体が埋められていると伝えられる場所。
;[[穂高古墳群#H古墳|耳塚]] 穂高古墳群、耳塚
:八面大王の耳が埋められていると伝えられる場所。
;立足地区
:八面大王の足が埋められていると伝えられる場所。
;[[筑摩神社 (松本市)|筑摩神社]]
:松本市の筑摩神社には、首塚がある。
;矢矧三宝大荒神社
:矢助が矢を作ったとされる場所。八面大王の湯 足湯矢助が矢を作ったとされる場所
== 参考文献 ==