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一方大和岩雄(1990年)は狩猟性を示す洩矢神(ここでは守矢氏が祀る[[ミシャグジ]]と同視)が農耕性を持ったことから狩猟的「洩矢」と区別して農耕的「モリヤ」を「守宅(守田)」として『系譜』では父子関係になったという説を立てている<ref>大和岩雄『信濃古代史考』名著出版、1990年、201-202頁。</ref>。
 
== 私的考察 ==
守宅神は[[洩矢神]]に似ているけれども、とりあえず「別の神」として分けるために作った神ではないだろうか。そうしておけば、必要に応じて「同じ神」とも「違う神」とも主張できるからである。長野市にある守田神社の祭神である守達神とは「同じ神」として良いかと思う。水内郡の金刺氏は、とにかく「子神」というものが好きで、こだわる傾向がある。例えば、善光寺に関しては
* 健御名方富命彦神別神(建御名方神の子神)
* 御年神(須佐之男命の子孫)
* 八幡神(神宮皇后と応神天皇の子神)
と「子神」が中心に祀られている。御年神と八幡神は全国的に分布する神だが、健御名方富命彦神別神は地方的な神である。守宅神も子神であって、地方神的な神といえる。長野県内のことに限っていえば、一宮は諏訪大社なので、長野市(水内郡)の神々を「子神」とすれば、諏訪大社に関連する神々を「親神」とすることが妥当と考える。守宅神・守達神とは、そのように「子神」かつ「水内郡の神」とすることを前提として[[洩矢神]]から分離し、独立させるために作られた神といえるのではないだろうか。
== 参考文献 ==
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%88%E5%AE%85%E7%A5%9E 守宅神](最終閲覧日:25-01-31)
* {{Cite book|和書|author=* 今井野菊|year=, 1976|title=, 神々の里 古代諏訪物語|publisher=, 国書刊行会|, ncid=:BB07630391|ref={{Harvid|神々の里|1976年}}}}* {{Cite book|和書|author=* 大和岩雄|authorlink=, 大和岩雄|year=, 1990|title=, 信濃古代史考|publisher=, 名著出版|, isbn=:978-4-626-01363-7|ref={{Harvid|信濃古代史考|1982年}}}}* {{Cite book|和書|editor=* 茅野市神長官守矢史料館|year=, 2017|title=, 神長官守矢史料館のしおり|edition=, 第三版}}* {{Cite book|和書|author=* 山田肇|year=, 1929|title=, 諏訪大明神|publisher=, 信濃郷土文化普及会|series=, 信濃郷土叢書 第1編|, ncid=:BA60331112}}* {{Cite book|和書|author=* 細田貴助|year=, 2003|title=, 県宝守矢文書を読む―中世の史実と歴史が見える|publisher=, ほおずき書籍|, isbn=:978-4-434-03552-4|ref == 関連項目 ={{Harvid|県宝守矢文書を読む|2003年}}}}=* [[洩矢神]]* [[多満留姫]]* [[千鹿頭神]]
== 脚注 ==
 
== 関連項目 ==
*[[洩矢神]]
*[[多満留姫]]
*[[千鹿頭神]]
{{DEFAULTSORT:もりたのかみ}}

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