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=== 伊古比都幣尊 ===
'''[[為志神社]]'''(いしじんじゃ)の祭神。奈良県葛城市林堂の神社。創建年代は不詳。延喜式神名帳には大和国忍海郡の項に当神社の存在が記載されている<ref>Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%82%BA%E5%BF%97%E7%A5%9E%E7%A4%BE 為志神社](最終閲覧日:25-01-16)</ref>。「神名帳考証」には和泉国の火雷神社(現在の愛宕神社)と石津太神社の祭神でもあると伝わる<ref>[https://ameblo.jp/keith4862/entry-12430980554.html 爲志神社 (改定)]、かむながらの道 ~天地悠久~(最終閲覧日:25-01-16)</ref>。
忍海郡は、葛上郡(葛城南部)と葛下郡(葛城北部)に挟まれた地で、狭い郡だが、鉄生産を行った重要な地域である。忍海の名は大和時代に朝鮮半島から渡ってきた渡来人集団漢人の一つで、鍛冶技術に秀でた忍海漢人に由来する。 日本書紀によると、[[葛城襲津彦]]は、新羅の草羅城(さわら)を攻略した際に捕虜を連れ帰った。この捕虜が、桑原・佐糜・高宮・忍海の四箇所に住み漢人の祖となる。忍海漢人は、大和朝廷ではなく葛城氏に私的に職務奉仕していた。しかし葛城氏が五世紀半ばに'''滅亡した後'''、中央集権化を進める雄略天皇により阿知使主(あちのおみ)を祖とする東漢氏へと組み入れられる<ref>[http://blog.livedoor.jp/myacyouen-hitorigoto/archives/43273256.html 笛吹神社の参道⑥為志神社(葛城市・林堂)]、エナガ先生の講義メモ(最終閲覧日:25-01-17)</ref>。

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