Wikipeidiaによると、高良神の子神にいくつか興味深い名前がある。
良神の子神の名簿にいくつか発見することがあったのです。高良神の子神の名簿にいくつか発見することがあったのです。
* 渕志命(ふちしのみこと):おそらく布津主(物部氏の祖神)のこと
ここでは「幡」は、おそらく「'''招魂幡'''」に似た意味を持ち、死者の魂ではなく、日月の神霊を呼び寄せるアイテムとして使われているように思う。これが「機を流す」風の神とも関連するのなら、[[細烏女]]は織り姫であり、風女神でもあって、やはり[[竜田姫]]に似た性質の女神のように思う。風女神の力が日月を隠す邪気を祓って'''鎮めた'''ともいえるのではないだろうか。
『日本書紀』神功皇后摂政元年二月条に「阿豆那比(あずない)の罪」というものがある。小竹祝(しののはふり)と天野祝(あまののはふり)(『日本書紀』神功皇后摂政元年二月条に「'''阿豆那比(あずない)の罪'''」というものがある。小竹祝(しののはふり)と天野祝(あまののはふり)([[丹生都比売神|丹生都比売神社]]の神職と見られている)は仲の良い友人だったが、小竹祝が病で死んでしまい、悲しんだ天野祝は「別のところに葬られたくない」と、小竹祝の骸の上に倒れて死んでしまう。願い通り二人を合葬したところ、昼なのに夜のような暗さが続いた。そこで、皇后が古老に問うたところ「阿豆那比の罪です」と言うので、墓を開いて二人の骸を別々に改葬したところ、光が復した、ということだ。
『書紀』の原文には「(阿豆那比の罪とは)何のことか?」という皇后の問いに対して、古老が「二社の祝を合葬したことでしょう」と答えており、通説では、異なる共同体の祭祀を担う祝(神官)を合葬することの禁忌とされている(難波美緒「『阿豆那比の罪』に関する一考察」『早稲田大学大学院文学研究科紀要(第四分冊)』五九号、二〇一四年)<ref>[https://www.newsweekjapan.jp/stories/culture/2015/11/15-4_5.php 歴史の中の多様な「性」(1)]、Newsweek日本版、三橋順子(性社会・文化史研究者)※アステイオン83より転載(最終閲覧日:25-01-12)</ref>。
『日本書紀』の伝承にはもはや「幡」が登場しないが、「葬祭を正しく行わない」ということと、[[細烏女]]と延烏朗がいなくなった話が組み合わされた話となっている。「幡」に関する祭祀が元は葬祭だったことの名残の神話ではないだろうか。[[丹生都比売神]]は物部氏に関連した女神と管理人は考えるが、七夕神社といい、物部氏に関連した神社に[[ミャオ族]]に由来すると思われる伝承が複数残されているのは興味深く感じる。
現代の日本では「幡」とはお祭の際に寺社で掲げるものである。これも風の神に神霊を招いてもらったり、穢れを払ってもらったりする、という意味があるのではないだろうか。
=== 幡の変遷 ===
七夕神社の伝承では「幡」が「神の鎮まる地」を定める。一方、「丹後国風土記」残闕には、[[豊受大神|豊宇気大神]]を祀る地を選ぶのに「母の'''天道姫命'''(天道日女命)が子の天香語山命に'''矢を授けた'''。そして矢を放ち留まったところが清き地である大神の神託があった。」とあり<ref>[https://ameblo.jp/keith4862/entry-12608819012.html 日尾池姫神社]、かむながらのみち ~天地悠久~(最終閲覧日:24-12-22)</ref><ref>[https://ameblo.jp/keith4862/entry-12446037500.html 笶原神社 (改訂)]、かむながらのみち ~天地悠久~(最終閲覧日:24-12-22)</ref>、「肥後国風土記」にあった「'''幡'''」が「'''矢'''」に変わっていることが分かる。それに伴い、直接土地を選ぶのは、風女神から英雄的男神に変更されている。
また、「'''幡'''」が「'''矢'''」に変更され、いわゆる「'''白羽の矢'''」と化したことで、これが人身御供を選定する悪習のアイテムにも流用され、変化していることが分かる。本州から東では「選定の幡」は他にも、[[井氷鹿]]女神の「勝利を祈願する矢」や、「[http://bellis.sakura.ne.jp/k/tegalog.cgi?postid=209 山鳥の征矢(そや)]」のように「鬼を倒す矢」のように使われている。
=== 姫社神について ===
織姫神とは、肥前風土記によれば、'''珂是古'''(かぜこ)ということになろう。現在の祭神は栲幡千千姫命とその関係者と宗像神(宗像三女神)で、栲幡千千姫命は織物の女神なので、こちらは現在の「織姫神」といえる。では本来の祭神だった「荒ぶる水神女神」とはどのような女神だったのだろうか。宗像神(宗像三女神)が疫神とは考えにくいので、高良大社の味水御井神社の女神と同様、祭神から外されてしまった女神がいると考える。
出雲や尾張の神々と比較すれば、'''[[天甕津日女命]]'''が一番近い性質のように思う。星女神であり、北斗の女神と考えられる。この女神は尾張国丹羽郡式内社の阿豆良神社に祀られており、丹羽氏あるいは尾張氏の女神でもあったと考える。また、管理人が[[天甕津日女命]]の別名と考える女神に'''天知迦流美豆比売'''がいる。この女神の子神には「庭」とつく神がおり、丹羽氏との関連が推察される。
[[天甕津日女命]]は阿豆良神社の社伝では、病を起こす疫神のように書かれている。こちらでは女神を鎮めるために「建岡君」という者が榊の枝で'''縵(あずら)'''を投げて、その地に女神を祀った、という伝承がある。肥前国風土記では、女神を祀る地を選ぶのは女性である。丹後の伝承では、地を選ぶ矢を射るのは男性だが矢を授けるのは女性である。男性は女神の代理人に過ぎない。しかし、尾張'''丹羽郡'''では、女神を祀る地を選ぶのは完全に男性の仕事とされている。そもそも[[天甕津日女命]]を疫神としているのは'''丹羽郡'''だけであって、他の地域では疫神とはされていないように思う。'''丹羽氏'''などの間に女神を疫神(悪神)に変えたり、女神信仰を禁じたりした動きが誇大にあったのではないか、と考える。その結果、七夕神社でも本来の祭神が消されてしまったり、書き換えられてしまったのではないだろうか。
== 神事 ==
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