元寇の際には、丹生都比売神社は神威を表したとして一躍有名となり、公家・武家から多くの寄進を受けた<ref name="地名"/>。この頃から、紀伊国一宮を称するようになったと見られている<ref name="一宮"/>。紀伊国では古くより日前神宮・国懸神宮(和歌山市)が一宮の位置づけにあったが「一宮」の呼称自体はなく、丹生都比売神社が弘安8年(1285年)を初見として「一宮」を称し、以後一宮が並立した<ref name="一宮">井上 寛司, 2009, 日本中世国家と諸国一宮制, 中世史研究叢書16, isbn:978-4-87294-545-4, p44</ref>。なお、他に一宮を称した神社として伊太祁曽神社(和歌山市)がある。
=== 私的考察・蟻通神について ===
第3殿の祭神について。気比神宮に大食比売大神は祀られていない。気比神宮の神を'''蟻通神'''と呼ぶこともない、という奇妙な由来を持つ祭神である。これを「気比明神」と呼ぶのは「気比」という言葉に「食物をもたらす神」という意味を持たせてそうしているのだと考えるが、では「蟻通神」とは何なのだろうか。
== 関連項目 ==