* '''浦嶋神社'''(京都府与謝郡伊根町) - 浦島伝説の中では最も古いとされる『丹後国風土記』逸文ゆかりの地域にある。社伝では天長2年(825年)に創建。
* 嶋児神社(京都府京丹後市網野町)<ref>https://www.pref.kyoto.jp/kaigan/documents/1186551829315.pdf, 京都府の海岸事業01, 京都府, 2021年9月22日}}</ref>
* [[寝覚の床]]・[[臨川寺 (上松町)|臨川寺]]([[長野県]][[上松町]]) 寝覚の床・臨川寺(長野県上松町) - 寝覚の床は竜宮城から戻った浦島太郎が玉手箱を開けた場所といわれ、中央の岩の上には浦島堂が建つ。臨川寺は、浦島太郎が使っていたとされる釣竿を所蔵する。境内からは景勝寝覚の床を見下ろす。* [[知里付神社]]・[[真楽寺 (武豊町)|真楽寺]]([[愛知県]][[武豊町]]) 知里付神社・真楽寺(愛知県武豊町) - 知里付神社には浦島太郎が竜宮城から持ち帰ったといわれる玉手箱が所蔵されている(非公開)。[[旱魃|日照り]]の際の[[雨乞い]]に使われたという。また、真楽寺の[[境内]]には浦島太郎を背負った亀のものとされる墓がある。武豊町の富貴という地名は、「負亀」(オブガメ)の音読みの「フキ」が転化したものだとも言われている。知里付神社には浦島太郎が竜宮城から持ち帰ったといわれる玉手箱が所蔵されている(非公開)。日照りの際の雨乞いに使われたという。また、真楽寺の境内には浦島太郎を背負った亀のものとされる墓がある。武豊町の富貴という地名は、「負亀」(オブガメ)の音読みの「フキ」が転化したものだとも言われている。
== 類話 ==
* 『[[捜神記|捜神後記]]』所収の話{{Refn|group="注"|[[曲亭馬琴|滝沢馬琴]]『[[燕石雑志]]』で浦島伝説の基と考察しているもの。}}。[[会稽]]の剡県に住む袁と根という男らが二人の仙女と同棲するようになるが、あるとき留守を機に帰郷を図って露見する。強いては止められず、腕嚢を渡され、開けることを禁じられる。根の家族が詮索して五重の嚢を開いてしまうと、その後、根は蒸発してしまった。それは蝉脱した(仙人となった)といわれた{{sfnp|『捜神後記』所収の話<ref>滝沢馬琴『燕石雑志』で浦島伝説の基と考察しているもの</ref>。会稽の剡県に住む袁と根という男らが二人の仙女と同棲するようになるが、あるとき留守を機に帰郷を図って露見する。強いては止められず、腕嚢を渡され、開けることを禁じられる。根の家族が詮索して五重の嚢を開いてしまうと、その後、根は蒸発してしまった。それは蝉脱した(仙人となった)といわれた<ref>中田|, 1926|pp=20, p20-21}}</ref><ref>{{citation|url=https://web.archive.org/web/20150508205707/http://www.geocities.jp/kiebine2002/inoue3.htm |last=井上 |first=通泰 , 井上通泰 <!--Inoue Michiyasu-->|title=, 萬葉集追攷 |publisher=, 南天荘 |year=, 1937|pages=25, p25-34}}</ref>。
* 『[[水経注]]』に、晋代の王質という男が山の洞窟で4人の童子が琴を弾いて歌っているのをしばらく聴いた後、家に戻るといつの間にか数十年の時がたっていたという話がある<ref>沖田瑞穂『世界の神話』[[岩波ジュニア新書]]2019年、178頁。</ref>。
* 唐代の[[薛瑩 (唐)|薛瑩]]の撰による『竜女伝』。[[太湖|震澤]]の洞庭山の洞窟に茅公[月+它]{{Refn|group="注"|『太平広記』では仰公[目+他])}}という漁師が転げ落ちて竜宮にたどり着き、10日程過ごして帰参。東海竜王の第七女を主とするその竜宮に、今度は[[蕭衍|梁の武帝]]が羅子春兄弟を使者に遣わし、竜女より返礼として宝珠を得る。使者たちは龍に乗って瞬く間に返る。ただ、もてなしの料理は、包みを開くと石のように固くなってしまった{{sfnp|中田|1926|pp=26-28}}。