中国では古来の習慣として、竈神(かまどがみ、そうしん、灶神(ザォシェン)、または灶君(ザォジュン)が祭られていた。また、竃神の呼び名は「竃神」の他に「竃王」「竃君」「竃公」「竃君公」「竃王爺」「竃司」というものがある。<ref>劉枝萬, 台湾の道教と民間信仰, 1994, 風響社, isbn:9784938718022</ref>旧暦12月23日(または年によって24日)は祭竈節(さいそうせつ、チーザォチェ、または竈王節)で、かまどの大掃除をして、かまど神に天帝(玉皇大帝)へ家庭が円満であることを報告してもらった。この日を旧正月(大年)に対して、'''小年'''(シャオニェン)とも呼んで、お正月の最終準備を開始する日とした。
竃神の役割として、普段はその家の人々の行いを監視して、一年に一度、旧暦の12月23日に天界に登っていき、その家の人々の善行と悪行を報告することである。この旧暦の12月23日は、それぞれの家の人々は粘り気のある飴を供えて、悪い報告をされないようにする家があれば、報告される内容をより良いものにしてもらうために、酒や肉を供える家もある。<ref>{{Cite book|和書|author=真野隆也|title=タオの神々|year=1991|publisher=新紀元社|isbn=4883172023}}</ref>竃神の役割として、普段はその家の人々の行いを監視して、一年に一度、旧暦の12月23日に天界に登っていき、'''その家の人々の善行と悪行を報告する'''ことである。
大掃除の一環として12月23日にかまども掃除して、竈神を祭る習慣は、日本にもかまどがあった1960年代までは田舎で行なわれていた他、沖縄では今でも旧暦12月24日に御願解き(ウガンブトゥチ)という竈神である[[ヒヌカン]]に感謝を捧げ、一年の願いを解き天へ送る行事が、拝所や各家庭にて執り行われている。この旧暦の12月23日は、それぞれの家の人々は粘り気のある飴を供えて、悪い報告をされないようにする家があれば、報告される内容をより良いものにしてもらうために、酒や肉を供える家もある。<ref>真野隆也, タオの神々, 1991, 新紀元社, isbn:4883172023</ref> 大掃除の一環として12月23日に'''かまども掃除して'''、竈神を祭る習慣は、日本にもかまどがあった1960年代までは田舎で行なわれていた他、沖縄では今でも旧暦12月24日に御願解き(ウガンブトゥチ)という竈神であるヒヌカンに感謝を捧げ、一年の願いを解き'''天へ送る'''行事が、拝所や各家庭にて執り行われている。
=== 荘子 ===
[[西晋]]のころ、[[司馬彪]]の『[[荘子 (書物)|荘子]]』達生第十九「竈有髻。(竈に髻がある。)」の注に「髻,竈神,著赤衣,状如美女。(髻があるかまど神は、赤い衣を着ていて、姿は美女のようである。)」と述べている。西晋のころ、司馬彪の『荘子』達生第十九「竈有髻。(竈に髻がある。)」の注に「'''髻,竈神,著赤衣,状如美女。'''(髻があるかまど神は、赤い衣を着ていて、姿は美女のようである。)」と述べている。
=== 論語 ===
{{節スタブ|1=掲載場所だけでなく、どのような本文が載っていて、どのような意味なのかの説明が必要最低限度の範囲で短くした白文、書き下し、現代語訳のセットで書かれていると親切かもしれません。以下の他の書物での扱いも全て同じ。|date=2020年1月}}古くは[[論語]]の中にも登場し、八佾第三の十三に[[孔子]]と[[王孫賈]]のやりとりの記述がある。古くは論語の中にも登場し、八佾第三の十三に孔子と王孫賈のやりとりの記述がある。
=== 捜神記 ===
=== 礼記 ===
漢の時代以降は、竃神を祭るのは十二月であるとされているが、漢の時代以前は、六月に祭っていた時もあった。これは『礼記』月令に述べられている。漢の時代以降は、竃神を祭るのは十二月であるとされているが、'''漢の時代以前は、六月に祭っていた時もあった'''。これは『礼記』月令に述べられている。<ref name=":0">{{Cite book|和書|author=中村裕一|title=, 中国古代の年中行事 第四冊 冬 |year=, 2011|publisher=, 汲古書院|, isbn=:9784762928598}}</ref>
== ギリシャ・ローマ神話の暖炉・家庭の神 ==
[[ギリシア神話]]の[[ヘスティアー]]、[[ローマ神話]]の[[ウェスタ]]がかまどの神である。ギリシア神話のヘスティアー、ローマ神話のウェスタがかまどの神である。
==参考文献==
* [[荒神]]
* [[火男]]
* [[久度神社 (王寺町)|久度神社]]
* [[窯神神社]]
== リンク ==