神社の名前と、祭神が一致しにくい感がする。境内内に薬水の井戸がある天から、本来は「'''厄払い'''」で「'''医薬神'''」の性質を持つ'''女神'''を祀っていたのだと考える。女神だという点は「'''鎮女池'''」という名前から窺えるように思う。
古語で「井」とは「川」のことも指す場合があるので、「'''狹井'''」とは「'''狹川'''」のことではないのか。これは「三輪川」の古い名ではないだろうか。そして、川や池の神が女神であれば、「'''狭比売'''」という女神が本来いたのではないか、と思われる。とすれば、三輪山は本来「'''狭比売山'''」といって、厄払いの性質を持つ女神を祀っていたのではないか。村屋坐弥冨都比売神社の'''[[三穂津姫|弥富都比売神]]'''である。である。そうだとすると、「父」に当たる神の名が異なってくるが、村屋坐弥冨都比売神社と[[洪水神話・中国|広瀬大社]]は対になっており、[[洪水神話・中国|広瀬大社]]に「父、娘、息子」が祀られており、村屋坐弥冨都比売神社に「母」が祀られていた、のが本来の形と思われる。'''饒速日命は経津主神と同一視'''されるのではないだろうか。 それが、三輪山に大物主命を祀るようになって、[[三穂津姫|弥富都比売神]]は「大物主命」の妻に再編させられてしまったものと思われる。もっとも古代の通い婚の時代であれば、饒速日命と大物主命の両方が夫であっても構わないと考える。 とすれば、[[三穂津姫|弥富都比売神]]とは、勢夜陀多良姫命のこと、となる。事代主神は賀茂氏系の神である。賀茂氏、物部氏の神々で、「父、(母)、娘、息子」
== 参考文献 ==