そこにはそれまでの農民の利益を代表してきた共同体の機能の存続・維持を求めてきた「迷信」への克服が現れている<ref group="私注">衫子の行為は[[ヒョウタン]]を用いた占いといえる。これは「迷信」ではないのだろうか。</ref>。農耕具の進歩(U字形鍬・曲刃の鎌など)、武具における革綴短甲から鋲留短甲への革新・発展、須恵器生産の開始、騎馬の風習なども大いに関係している。
== 参考文献 ==
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%A8%E7%94%B0%E8%A1%AB%E5%AD%90 茨田衫子](最終閲覧日:22-09-26)
** 『日本書紀』(二)・(五)岩波文庫、1994年・1995年
** 『日本書紀』全現代語訳(上)(下))、講談社学術文庫、宇治谷孟:訳、1988年
** 『日本古代氏族事典』【新装版】佐伯有清:編、雄山閣、2015年
** 別冊歴史読本 最前線シリーズ「日本古代史『王権』の最前線 巨大古墳の謎を解く」より「渡来集団の実態をさぐる 五世紀の新技術と地域開発」、文:丸山竜平、新人物往来社、1997年
== 私的解説 ==
茨田衫子の先祖である[[神八井耳命]]とは神武天皇の次男とされ、父親の死後、異母兄が謀反を起こした際に弟と共に戦った、とされる。謀反を平定した後、帝位を弟の綏靖天皇に譲り、自らは「'''神祇'''」を担う、とした。多氏系の氏族の先祖とされる。欠史八代に関連する人物であるため、実在性には乏しいが、多氏、金刺氏、阿蘇氏などの支族の共通の祖神として意味があると考える。先祖の[[神八井耳命]]が「'''神祇'''」を担う立場であったからこそ、その子孫も「'''神祇'''」に深く関わる立場となった、とはいえないだろうか。金刺氏は諏訪大社下社の神職の家系であり、善光寺も同族の者が創始したと思われる。阿蘇氏は阿蘇神社の神職の家系である。「'''神祇'''」を担う立場の者が'''兄'''であり、天皇が'''弟'''であることは彼らの上下関係を知る上で重要であると思う。
という[[神八井耳命]]の子孫達の「主張」に他ならないのではないだろうか。「'''黄帝は人身御供を止めるために炎帝を倒したのではなく、黄帝が人身御供の祭祀者であった、あるいはそうなるために炎帝を殺した。'''」という主張である。黄帝と炎帝の両方の子孫を名乗り、かつ炎帝の政治を受け継ぎたい者が作り出した「[[啓思想]]7-2型」の変換が行われた結果と思われる。'''茨田衫子'''は彼らの思想の象徴のような物語といえる。
== 参考文献 ==
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%A8%E7%94%B0%E8%A1%AB%E5%AD%90 茨田衫子](最終閲覧日:22-09-26)
** 『日本書紀』(二)・(五)岩波文庫、1994年・1995年
** 『日本書紀』全現代語訳(上)(下))、講談社学術文庫、宇治谷孟:訳、1988年
** 『日本古代氏族事典』【新装版】佐伯有清:編、雄山閣、2015年
** 別冊歴史読本 最前線シリーズ「日本古代史『王権』の最前線 巨大古墳の謎を解く」より「渡来集団の実態をさぐる 五世紀の新技術と地域開発」、文:丸山竜平、新人物往来社、1997年
== 関連項目 ==