『那賀郡誌』松陽新報社 1916年 に掲載されたものでは、
石見の国は天豊足柄姫命によって開拓され豊かに足らされた。民草は満ち足りていたとき、荒ぶる神が現れ、長大な蛇の姿となって民草を襲った。今ぞ危急という秋、姫は出雲より八束水臣津野命の救援を得て大いに撃って蛇を三分にし衰亡に終わらしめた。かくして凱旋の宴で八束水臣津野命の将兵をねぎらったが、その夜、姫はみまかって石となり給うたと伝える。姫の身はみまかったといえど、その功績は盤石のものとなって伝わるであろう。石見の国は天豊足柄姫命によって開拓され豊かに足らされた。民草は満ち足りていたとき、荒ぶる神が現れ、長大な蛇の姿となって民草を襲った。今ぞ危急という秋、姫は出雲より[[八束水臣津野命]]の救援を得て大いに撃って蛇を三分にし衰亡に終わらしめた。かくして凱旋の宴で[[八束水臣津野命]]の将兵をねぎらったが、その夜、姫はみまかって石となり給うたと伝える。姫の身はみまかったといえど、その功績は盤石のものとなって伝わるであろう。<ref>『那賀郡誌』に記載された内容を要約した。</ref>
『那賀郡誌』が刊行されたのは大正時代だが、時代が下るにつれて勇壮な筋へと変わっている。新作神楽では八束水臣津野命と共に戦い、大蛇の瘴気に当たって亡くなるという筋立てのものがある。『那賀郡誌』が刊行されたのは大正時代だが、時代が下るにつれて勇壮な筋へと変わっている。新作神楽では[[八束水臣津野命]]と共に戦い、大蛇の瘴気に当たって亡くなるという筋立てのものがある。
== 天豊足柄姫命神社 ==