* '''貫前女神と意岐萩神'''
佐久に伝わる伝承である。
: 貫前女神を母として生まれた[[意岐萩神|興波岐命]]は、建御名方神の八男とされる。[[意岐萩神|興波岐命]]を、佐久の開拓神として祀っているのが、佐久神社の別名を持つ新海三社神社である。<br>新海三社神社の伝えによれば、この地に鎮座する[[意岐萩神|興波岐命]]が、父である建御名方神に会うために、遠く諏訪湖へ出向いていくその軌跡が、佐久之御渡りとなるという。冬の諏訪湖の御神渡りと呼ばれる氷丘脈には、実は三本あることは割りと知られていない。諏訪湖の御神渡りは、上社に鎮座する建御名方神が、下社に鎮座する妃神・八坂刀売神のもとを訪れる軌跡とされる。建御名方神の往復によって作られる南北方向の氷丘脈が、一之御渡り・二之御渡りであるが、あともう一本、稀に現れる三本目の東西方向の氷丘脈が、佐久之御渡りとされている<ref>信州以外にはあまり知られていない[https://note.com/kiyuu_s/n/n16dfc6b7e8b0 建御名方神の痕跡⑤佐久平]、杞憂氏ブログ(最終閲覧日:24-12-03)</ref>。 『諏方大明神画詞』では、御神渡りの一つを「佐久新開神社と小坂鎮守神社の祭神([[下光比売命|下照姫命]])が会った跡」と書いてあるとのことだ<ref>[https://yatsu-genjin.jp/suwataisya/sanpo/osaka.htm 小坂鎮守神社 岡谷市湊]、from八ヶ岳原人Home(最終閲覧日:24-12-01)</ref>。
* '''皇朝最古修武之地'''
== 私的解説 ==
[[意岐萩神]]の母神とされる貫鉾明神を中心にまとめてみた。第一に興味深い点は、子神とされているにもかかわらず、[[意岐萩神]]の事績が群馬県の側にないことである。その代わり、とはいえないかもしれないが、赤城神社に関わる伝承として、「都から流れてきた貴人の家に後妻として嫁いだ女とその弟の乱暴者の更科次郎兼光が、暴れまわって先妻の娘達を、水に投げ込んで皆殺しにする。その中の一人が赤城明神である。」という話がある。意地悪な継母と更科次郎兼光が信濃国に逃げようとしているところをみると、信濃国更級郡に関係する者かと考える。中世的にかなり誇張された話であり、残虐な内容から神々に対する畏敬の念が失せていると感じる。の事績が群馬県の側にないことである。その代わり、とはいえないかもしれないが、'''赤城神社'''に関わる伝承として、「都から流れてきた貴人の家に'''後妻として嫁いだ女'''とその'''弟'''の乱暴者の'''更科次郎兼光'''が、暴れまわって先妻の娘達を、水に投げ込んで皆殺しにする。その中の一人が赤城明神である。」という話がある。意地悪な継母と更科次郎兼光が信濃国に逃げようとしているところをみると、信濃国更級郡に関係する者かと考える。中世的にかなり誇張された話であり、残虐な内容から神々に対する畏敬の念が失せていると感じる。
しかし、この話は赤城明神と抜鉾明神の「一之宮交代神話」と関わっており、先妻が赤城明神、後妻が抜鉾明神のことを指すと考える。また、娘達が水に投げ込まれて殺される点は、干ばつによる雨乞いの儀式が伝承化したもので、上野国ではこれが「若い娘」に特化されていたことが窺える。静岡の見付天神も同様の思想である。