[[意岐萩神]]の母神とされる貫鉾明神を中心にまとめてみた。第一に興味深い点は、子神とされているにもかかわらず、[[意岐萩神]]の事績が群馬県の側にないことである。その代わり、とはいえないかもしれないが、赤城神社に関わる伝承として、「都から流れてきた貴人の家に後妻として嫁いだ女とその弟の乱暴者の更科次郎兼光が、暴れまわって先妻の娘達を、水に投げ込んで皆殺しにする。その中の一人が赤城明神である。」という話がある。意地悪な継母と更科次郎兼光が信濃国に逃げようとしているところをみると、信濃国更級郡に関係する者かと考える。中世的にかなり誇張された話であり、残虐な内容から神々に対する畏敬の念が失せていると感じる。
しかし、この話は赤城明神と抜鉾明神の「一之宮交代神話」と関わっており、先妻が赤城明神、後妻が抜鉾明神のことを指すと考える。しかし、この話は赤城明神と抜鉾明神の「一之宮交代神話」と関わっており、先妻が赤城明神、後妻が抜鉾明神のことを指すと考える。また、娘達が水に投げ込まれて殺される点は、干ばつによる雨乞いの儀式が伝承化したもので、上野国ではこれが「若い娘」に特化されていたことが窺える。静岡の見付天神も同様の思想である。
== 参考文献 ==