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{|tableborder="1" cellspacing="0" style="float:right; clear: right; margin: 0px 0px 5px 1em; padding: 5px; border: 1px solid #d4acad; border-right-width: 1px; border-bottom-width: 1px; background:#f8f4e6; text-align:center; font-size:85%;"
|style=" font-size:100%;background-color:#82ae46;"|<span style="color: white;">奈具神社出早雄命</span>|-|名:出早雄命
|-
|別名:伊豆早雄命、伊豆速男神、出早神 等
|神格:開拓の神、農耕の神、イボ取りの神
|-
|父:[[建御名方神]](八須良雄命(やすらをのみこと))|-|母:[[八坂刀売神]]|-|配偶者:[[多満留姫]]<small>(神長守矢氏系譜)</small>|-| 子:[[出早比売命|伊豆速比売神]]、[[八縣宿禰神]] 等
|-
|母:[[八坂刀売神]](八須良姫命)神社:出早社(諏訪大社摂社)、出早雄小萩神社 等|-| 関連氏族:諏訪氏 (諏訪神党、洲羽国造)、早出氏
|}
 {{基礎情報 日本の神  | 配偶者 = [[多満留姫]]<small>(神長守矢氏系譜)</small>| 子 = [[出早比売命|伊豆速比売神]]、[[八縣宿禰神]] 等| 神社 = 出早社([[諏訪大社]]摂社)、[[出早雄小萩神社]] 等| 関連氏族 = [[諏訪氏]] ([[諏訪神党]]、[[洲羽国造]])、[[早出氏]]}}'''出早雄命'''(いずはやおのみこと、[[歴史的仮名遣]]:いづはやをのみこと)は、[[長野県]]内の(いずはやおのみこと、歴史的仮名遣:いづはやをのみこと)は、現在では諏訪大社の祭神である[[民間信仰建御名方神]][[神 (神道)|神八坂刀売神]]の子神とされる神である。
== 名称 ==
'''出早雄神'''(いずはやおのかみ)、'''出速雄命'''、'''伊豆速男神'''、'''伊豆早雄命'''、'''伊豆速雄命'''<ref name="ryakuengi">『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815696/22 諏訪神社略縁起]』守矢実久編、中村甚之助、1902年。</ref>、'''出早命'''<ref name="ryakuengi"/>、'''出早神'''とも書く。[[室町時代]]書写の『諏訪上社物忌令之事』(1237年成立)とも書く。室町時代書写の『諏訪上社物忌令之事』(1237年成立)<ref name="Takei">* {{Cite journal|和書|author=</ref><ref>武井正弘 |title=, 祭事を読む-諏訪上社物忌令之事- |url=, https://doi.org/10.20807/icmrb.9.0_121 |journal=, 飯田市美術博物館 研究紀要 |, issn=:1341-2086 |publisher=, 飯田市美術博物館 |year=, 1999 |volume=9|pages=121, volume9, p121-144 |, naid=:110008434555 |, doi=:10.20807/icmrb.9.0_121}}</ref>には'''出止[[明神]]出止明神'''(いではや‐)が見られる。諏訪上社の[[神楽]]歌集『祝詞段』(いではや‐)が見られる。諏訪上社の神楽歌集『祝詞段』<ref>「[https://adeac.jp/npmh/viewer/mp000016/1603/?pagecode=66 祝詞段]」『信濃史料 巻16』信濃史料刊行会編、信濃史料刊行会、1961年。</ref>と『根元記』<ref>「[https://adeac.jp/npmh/viewer/mp000016/1603/?pagecode=104 根元記]」『信濃史料 巻16』信濃史料刊行会編、信濃史料刊行会、1961年。</ref>(伝・[[嘉禎]]年間)では「(伝・嘉禎年間)では「'''イスハイ'''」または「'''イツハエ'''」として出て来る。幕末に書かれた『諏訪旧跡志』(飯塚久敏著<ref>{{Cite web|和書|url=http://21coe.kokugakuin.ac.jp/db2/kokugaku/iiduka.001.html|title=, 飯塚久敏|website=, 国学関連人物データベース|publisher=[[, 國學院大學]]|accessdate=, 2019-07-11}}</ref>)では「'''[[内県神]] 出速雄命'''」と表記される<ref name="kyusekisi">{{Cite web|和書|url=https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100150067|title=, 諏訪旧跡志 |website=[[, 国文学研究資料館]]|accessdate=, 2019-07-11}}</ref>。
== 概要 ==
『[[日本三代実録]]』によると[[貞観 (日本)|貞観]]2年(860年)2月5日には「[[信濃国]]正六位上馬背神、[[風間神社|飄別神]]、妻科地神、無位駒弓神、出速雄神」には[[従五位下]]が授与された。更に貞観15年(873年)4月5日、「信濃国従五位下出早雄神」が[[従五位|従五位上]]に昇格されたとある『日本三代実録』によると貞観2年(860年)2月5日には「信濃国正六位上馬背神、飄別神、妻科地神、無位駒弓神、出速雄神」には従五位下が授与された。更に貞観15年(873年)4月5日、「信濃国従五位下出早雄神」が従五位上に昇格されたとある<ref name="sandaijituroku">{{Cite web|和書|url=http://www.j-texts.com/chuko/sandai.html|title=日本三代実録{{リンク切れ|date=2023年2月}}|website=日本文学電子図書館(J, 日本三代実録(リンク切れ:2023年2月)、日本文学電子図書館(J-TEXTS)|accessdate=, 2019-07-19}}</ref>。[[元慶]]2年(878年)2月7日に[[正五位]]下となる。元慶2年(878年)2月7日に正五位下となる<ref name="ryakuengi"/><ref>太田亮『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/983470/88 諏訪神社誌 第1巻]』、官幣大社諏訪神社附属諏訪明神講社、1926年、157頁。</ref>。
[[諏訪地域|諏訪地方]]では諏訪地方では'''[[建御名方神]]'''([[諏訪大社]]の祭神)の[[御子神]]とされている。近世の伝承では建御名方神の次男で、父神の世継ぎとして諏訪を治めたと伝わる(諏訪大社の祭神)の御子神とされている。近世の伝承では建御名方神の次男で、父神の世継ぎとして諏訪を治めたと伝わる<ref>宮坂喜十『諏訪大社の信仰』1938年、3頁。</ref>。また[[武居氏]](下社の社家)の家伝によると、父神の寵愛を受けた出早雄神は弟の。また武居氏(下社の社家)の家伝によると、父神の寵愛を受けた出早雄神は弟の[[意岐萩神]](ここでは武居氏の祖先とされる)から諏訪の地を譲り授けられ、意岐萩神とともにそこに鎮座した<ref>飯田好太郎 編『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765166/3 諏訪史料 巻之四]』諏訪史料編纂所、1898年、1頁。</ref>。また、信濃国の開拓に功績をたてた[[ミシャグジ#王子神(御子神)としてのミシャグジ|13柱の御子神]]の一つに数えられる。また、信濃国の開拓に功績をたてた13柱の御子神の一つに数えられる<ref>三輪磐根『諏訪大社』学生社、1978年、33-34頁。</ref>。
[[岡谷市]]にある[[出早雄小萩神社]]では、父神と協力して、諏訪の開拓に貢献したと伝わり、また神社の社家の祖神とも伝わる。岡谷市にある出早雄小萩神社では、父神と協力して、諏訪の開拓に貢献したと伝わり、また神社の社家の祖神とも伝わる。
また[[皆神山]]に鎮座する[[熊野]]また皆神山に鎮座する熊野'''出速雄神社'''では[[松代町 (長野県)|海津]]地域開拓の祖神で農耕の神とされる。そして皆神山の[[神官家]]([[関屋氏]]が世襲して来た)は[[建武 (日本)|建武]]2年(1335年)の[[青沼合戦]]において[[四宮氏]]([[四宮荘]])や[[保科氏]]([[保科荘]])・[[夏目氏]]([[石川荘]])らと建武政権に対して反乱を起こし[[船山守護所]]を襲ったが撃退鎮圧された。以後この神社の祭祀は[[松代]]の[[玉依姫神社]]の[[神主]][[小河原氏]]が担い、[[江戸時代]]には信濃の[[天台宗|天台]]本山派([[熊野三山]]を拠点とし[[聖護院]]を本寺とする)[[修験]]として地域[[山伏]]支配の勢力を拡大した。では海津地域開拓の祖神で農耕の神とされる。そして皆神山の神官家(関屋氏が世襲して来た)は建武2年(1335年)の青沼合戦において四宮氏(四宮荘)や保科氏(保科荘)・夏目氏(石川荘)らと建武政権に対して反乱を起こし船山守護所を襲ったが撃退鎮圧された。以後この神社の祭祀は松代の玉依姫神社の神主小河原氏が担い、江戸時代には信濃の天台本山派(熊野三山を拠点とし聖護院を本寺とする)修験として地域山伏支配の勢力を拡大した。
== 系譜 ==
[[ファイル:Moriya Family Tree - 守矢氏系図.png|190px|サムネイル|{{Center|『守矢氏系譜』における[[守矢氏]]の最初の五代<br />(洩矢神から八櫛神まで)}}]] 諏訪上社社家・[[守矢氏]]の家系図『神長守矢氏系譜』(明治初期成立)では諏訪上社社家・守矢氏の家系図『神長守矢氏系譜』(明治初期成立)では[[洩矢神]]の娘・[[多満留姫]]を娶ったとされている<ref name="Moriyakeifu">「[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1185913/24 神長守矢氏系譜]」『諏訪史料叢書 巻28』諏訪教育会編、1938年、31-72頁。</ref>。一般に上社の[[祝 (神職)|大祝]]職を務めた[[諏訪氏]](また[[洲羽国造]])の祖神とされる。一般に上社の大祝職を務めた諏訪氏(また洲羽国造)の祖神とされる<ref>延川和彦『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/927367/24 諏訪氏系図]』飯田好太郎、1921年、24-45コマ目。</ref><ref>「諏訪神家」『諏訪史料 巻之1』飯田好太郎、1898年。</ref><ref>「[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1185913/13 神氏系図 称一族系図]」『諏訪史料叢書 巻28』諏訪教育会、1938年、9-29頁。</ref><ref>中田憲信「神氏」『諸系譜』第六冊</ref><ref>中田憲信「諏訪氏」『諸系譜』十三冊</ref><ref>寺田鎮子、鷲尾徹太『諏訪明神―カミ信仰の原像』岩田書院、2010年、236-237頁。</ref><ref>太田亮『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/983470/229 諏訪神社誌 第1巻]』、官幣大社諏訪神社附属諏訪明神講社、1926年、229頁。</ref>。[[早出氏]]の祖神とも言われており、出早雄命の後裔が出早を氏としていたが、後に神の神威を恐れて苗字の「出早」の文字を傾倒したものとされる<ref>飯田好太郎 編『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765165/22 諏訪史料 巻之三]』諏訪史料編纂所、1898年、1頁。</ref>。
出早雄命の子とされる神々は以下の通りである<ref name="ryakuengi"/><ref name="kyusekisi"/><ref name="suwasikeizu">延川和彦『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/927367/36 諏訪氏系図 正編]』飯田好太郎、1921年。</ref>。
* [[出早比売命|伊津早姫神]](出早姫神)
* [[草奈井比売神]]
*:『三代実録』によると貞観8年(866年)8月に[[会津比売神]]と共に従四位下に昇格された<ref name="sandaijituroku"/><ref>{{Cite web|和書|title=草奈井比売神(信濃国)|website=, 神道・神社史料集成|publisher=[[, 國學院大學]]|url=, http://21coe.kokugakuin.ac.jp/db/jinja/241402.html|access-date=2019-07-21}}</ref>。[[蓼宮神社]](諏訪市湖南)の祭神。蓼宮神社(諏訪市湖南)の祭神<ref>蓼宮神社由緒。</ref>。
* [[可毛羽神]]
*:可毛羽神社([[長野市]]篠ノ井、旧[[更級郡]][[栄村]]-御幣川村)の祭神とされる可毛羽神社(長野市篠ノ井、旧更級郡栄村-御幣川村)の祭神とされる<ref name="suwasikeizu"/><ref>{{Cite web|和書|title=可毛羽神社|website=, 長野神社庁|url=, http://www.nagano-jinjacho.jp/shibu/01hokusin/07sarashina/11008.htm|access-date=2019-07-21}}</ref>。* [[若木比売神]]*:[[上水内郡]]若槻(現・[[長野市]][[若槻]])に祀られていると伝わる上水内郡若槻(現・長野市若槻)に祀られていると伝わる<ref name="suwasikeizu"/>。詳細は不明。
* 外安賀多神(外県神か)
*:[[外県神]]・[[内県神]]・[[大県神]]の3神は建御名方神の御子神とすることもある。
* 大県神
また[[八縣宿禰神|六老彦神]]だけを御子神として記載する系図もある<ref>「[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1185913/45 諏訪下社大祝武居祝系図]」『諏訪史料叢書 巻28』、諏訪教育会、73頁。</ref>。他、子に[[片倉辺命]]、孫に[[恵奈武耳命]]と続き、後に[[諏訪氏]]になるとするものもあるが、この2柱の神は諏訪御子神の中に列せられていることもある。と続き、後に諏訪氏になるとするものもあるが、この2柱の神は諏訪御子神の中に列せられていることもある。
==祀る神社==
{{multiple image| direction = vertical | align=right | width = 200 | image1 = Suwa-taisha Kamisha Maemiya - Wakamiko-sha (若御子社).jpg | caption1 = <center>若御子社(上社前宮)</center> | image2=間下十五社神社3_-_panoramio.jpg|caption2=<center>間下十五社神社([[岡谷市]]間下)</center><small>諏訪では建御名方神・[[八坂刀売神]]・御子神13神を祀る神社は「十五社」と呼ばれている。</small>}} * [[諏訪大社]]上社本宮摂社・出早社(長野県[[諏訪市]]中洲宮山)'''諏訪大社上社本宮摂社・出早社'''(長野県諏訪市中洲宮山)*:諏訪大社の門番神として崇敬されている。[[イボ]]取りに霊験があるとされ、小石を奉納してイボの全快を祈願する風習が残されている'''イボ取りに霊験がある'''とされ、小石を奉納してイボの全快を祈願する風習が残されている<ref>出早社案内板。</ref>。* 諏訪大社上社前宮摂社・若御子社(長野県[[茅野市]]宮川)'''諏訪大社上社前宮摂社・若御子社'''(長野県茅野市宮川)
*:他の諏訪御子神を祀る神社とは異なり22神が祀られている。
* 諏訪大社下社春宮摂社・若宮社(長野県[[諏訪郡]][[下諏訪町]])諏訪大社下社春宮摂社・若宮社(長野県諏訪郡下諏訪町)
*:御子神13神を祀る。
* 諏訪大社下社秋宮摂社・若宮社(長野県諏訪郡下諏訪町)
*:御子神13神を祀る。
* [['''出早雄小萩神社]]([[長野県]][[岡谷市]]長地出早)'''(長野県岡谷市長地出早)*:下社摂社・出早雄神社と小萩神社(岡谷市長地横川)を合祀したもの。古くから[[長地村|西山田地区]]の[[産土神]]とされた下社摂社・出早雄神社と小萩神社(岡谷市長地横川)を合祀したもの。古くから西山田地区の産土神とされた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.onbashira.jp/pdf/komiyapamphlet.pdf|title=, 小宮御柱祭小宮巡礼|website=, 御柱祭|publisher=, 諏訪地方観光連盟|access-date=, 2019-07-22}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://okaya-navi.info/search/aruki_taro/katakuri/detail/158/|title=, 出早雄小萩神社|website=, おかやナビ|access-date=, 2019-07-22}}</ref>。* [['''出早雄神社]](長野県[[上田市]][[真田町]]出配)'''(長野県上田市真田町出配)*:古くは出配(いずへ)神社と呼ばれ、明治2年(1869年)に出早雄神社に改められていた<ref>{{Cite web|和書|url=https://museum.umic.jp/map/document/dot136.html|title=, 出早雄神社社叢|website=, 上田市文化財マップ|access-date=, 2019-07-22}}</ref>。* [['''出早神社]](長野県[[下伊那郡]][[高森町 (長野県)|高森町]]出原)'''(長野県下伊那郡高森町出原)* [['''熊野出速雄神社]](長野県[[長野市]][[松代町 (長野県)|松代町]]豊栄)'''(長野県長野市松代町豊栄)*:[[皆神山]]上にあり、出速雄神ほか7神を祭神とする。中世以降は北信地域[[修験道|熊野修験]]の聖地として「[[熊野三山|熊野三社]][[権現]]」と呼ばれたが明治以降に社名が改称された皆神山上にあり、出速雄神ほか7神を祭神とする。中世以降は北信地域熊野修験の聖地として「熊野三社権現」と呼ばれたが明治以降に社名が改称された<ref>{{Cite web|和書|url=http://bunkazai-nagano.jp/modules/dbsearch/page1138.html|title=, 熊野出速雄神社本殿|website=, 長野文化財データベース|access-date=, 2019-07-22}}</ref>。* [['''社子神社]]'''(長野県長野市三輪)* [['''芹田中神社]]'''(長野県長野市稲葉)* [[野池神社]](長野県[[飯田市]]千代)野池神社(長野県飯田市千代)* [[御社宮司社 (箕輪町)|御社宮司社]](長野県[[箕輪町]]三日町)御社宮司社(長野県箕輪町三日町) その他各地の御社宮司社や十五社神社、神明神社、県外の神社にも数多く祀られている。
その他各地の[[ミシャグジ|御社宮司]]社や十五社神社、神明神社、県外の神社にも数多く祀られている。== 私的考察 ==出早雄命は諏訪氏の祖神であり、一部地域の開拓神である、という以外に大きな事績がなく、どのような神であるかははっきりしない。
愛知県岡崎市東阿知和町の謁播神社(あつわじんじゃ)に、物部氏の祖神で、初代参河国造(みかわのくにのみやつこ)として'''知波夜命(ちはやのみこと)'''という神の名が見え、管理人はこの神が出早雄命と同じ神と考える。
また、鉢伏山信仰にかかわる横河付近の'''出早雄小萩神社'''に祀られていること、名前に「はや」という言葉がつくことから、いずれも善神である「'''犬神'''」と考える。
==関連項目==
* [[赤衾伊農意保須美比古佐和氣能命]]:出雲神話の犬神。「'''伏'''」という字について* [[意岐萩神]]:出早雄命と対になる神* [[建御名方神]]:現在、父神とされている神* [[八坂刀売神]]:現在、母神とされている女神
* [[洩矢神]]
* [[多満留姫]]:現在、妻神とされている女神
== 脚注 ==
[[Category:黄帝型神]]
[[Category:犬祖型神]]
[[Category:開拓神]]
[[Category:水神]]
[[Category:犬]]

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