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638 バイト追加 、 2024年11月13日 (水)
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成都載天(せいとさいてん)という山に棲み、二匹の[[ヘビ|蛇]]を耳飾りにし、二匹の蛇を手に持っていたという<ref>『山海経』海外北経「夸父国在聶耳東,其為人大,右手操青蛇,左手操黄蛇。鄧林在其東,二樹木。」<br>和訳:夸父国は聶耳の東にあり、その人となり大きくて、右手に青い蛇をもち左手に黄色い蛇をもつ。鄧林はその東にあり、二本の樹木(の大きな林)。</ref>。
ある話では、夸父は太陽を追いかけて原野を走り、太陽が沈む谷まで追い詰めることが出来た。しかし、夸父は喉が渇いていたので黄河と渭水の水をすべて飲み干した。それでも渇きが癒やされなかったので、さらに北にある大澤(だいたく)という千里四方もある湖に行こうとしたが、その途中で死んでしまったという<ref>『山海経』海外北経「夸父與日逐走,入日。渇,欲得飲,飲於河、渭,河、渭不足,北飲大澤。未至,道渇而死。棄其杖,化為鄧林。」<br>和訳:夸父は太陽とかけくらべして入日を追った。口が渇いて水がほしくなり、河水(黄河の古称)と渭水で飲んだが、河水と渭水ではなお足らず、北の大澤で飲もうとして、到着せぬさきに道で渇いて死んでしまった。その杖を棄てると、(杖は)化して'''鄧林'''となった。</ref>。また、これとは別に応竜に殺された夸父がいたともいわれる<ref>『山海経』大荒北経「応龍已殺蚩尤,又殺夸父,乃去南方処之,故南方多雨。」『山海経』大荒北経「応龍已殺[[蚩尤]],又殺夸父,乃去南方処之,故南方多雨。」</ref>。 [[黄帝]]と[[蚩尤]]との戦いでは、[[蚩尤]]に味方し殺された、と言われている。
== 私的解説 ==
夸父とは'''干ばつを神格化'''したものではないだろうか。したものではないだろうか。夸父が身につけている'''蛇'''とは、その毒でかみつく者を焼くようだ、と考えられていた'''毒蛇'''ではなかろうか。 そして、もしかしたら[[ミャオ族]]の敵対者が、彼らの父神であるアペ・コペンを'''悪神としてそしるため、悪意を持って作り上げた巨人'''ではないかと推測する。これは、人をそしりねたむような「鬼の陰気」を崇めて用いる'''鬼神信仰'''の産物かと考える。
== 参考文献 ==
[[Category:巨人]]
[[Category:植物神]]
[[Category:毒蛇]]
[[Category:黒]]

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