===== 軍事での使用 =====
[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には合戦における戦陣の合図や戦意高揚のために、陣貝と呼ばれる法螺貝が用いられた。[[上泉信綱]]伝の、大江家の兵法書を戦国風に改めた兵書『訓閲集』に、戦場における作法が記述されている。元々、軍用の陣笛は、動物の角などを用いていたが、のちに法螺貝に代わったとされる戦国時代には合戦における戦陣の合図や戦意高揚のために、陣貝と呼ばれる法螺貝が用いられた。上泉信綱伝の、大江家の兵法書を戦国風に改めた兵書『訓閲集』に、戦場における作法が記述されている。元々、軍用の陣笛は、動物の角などを用いていたが、のちに法螺貝に代わったとされる<ref name="kamon_p144">『日本家紋総覧 コンパクト版』 新人物往来社 第5刷 1998年(第1刷 1990年) p.144.</ref>。
近代期の戦闘でも陣貝は用いられ、一例として、[[明治]]期の[[秩父事件]]において、戸長役場の報告として、「町の東西北三方より暴徒600人計、螺(ホラ)を吹き、鬨の声を発し、押し来たり」と記録されている近代期の戦闘でも陣貝は用いられ、一例として、明治期の秩父事件において、戸長役場の報告として、「町の東西北三方より暴徒600人計、螺(ホラ)を吹き、鬨の声を発し、押し来たり」と記録されている<ref>古林安雄 『秩父事件 自由困民党の戦い』 埼玉新聞社 2014年 p.53.</ref>。
[[新渡戸稲造]]が聞いた話として、「戦争で用いられる法螺笛は、なるべき傷があるものが選ばれたとされ、その理由として、海底で波とうに打たれ、たたかれ、かしこの岩や石にぶつかり、かん難を重ねた貝が一番良い音を発するゆえ、漁師が取っていた」としている新渡戸稲造が聞いた話として、「戦争で用いられる法螺笛は、なるべき傷があるものが選ばれたとされ、その理由として、海底で波とうに打たれ、たたかれ、かしこの岩や石にぶつかり、かん難を重ねた貝が一番良い音を発するゆえ、漁師が取っていた」としている<ref>新渡戸稲造 『修養』明治44年刊、第十章「逆境にある時の心得」内の「逆境の人は心に疵を受けやすい」の項</ref>。
===== 仏教での使用 =====