コウノトリ(ドイツ語でStorch)は、「春アフリカを出発してドイツに渡り、夏の末に戻ってゆく」。「ドイツ人にいる間は、人間の住宅の屋根や、教会の塔に棲みついている」。「ドイツ人たちの眼前では、鳥の姿で現われるが、秋になると帰ってゆく」。彼らの遠い本拠地では、人間の姿に戻るとする俗信があったが、この俗信はすでに1214年の文書(Gervasius von Tibury)に見られる。「人間に幸運をもたらし、稲妻や火事から、人間を庇護してくれるという信仰は、比較的新しく一般に拡がったものでる、といわれている」。コウノトリに弟・妹を連れてきて、と頼む童謡がある。アーデルベルト・フォン・シャミッソーの記述にあるように、コウノトリは飲み水の湧き出る井戸、泉、あるいは池から赤子を連れてくると信じられていた<ref>西郷啓造『文学のふるさと ドイツ民族とその民間信仰』朝日出版社1971年、53頁。</ref>。
ドイツ中世の最大の叙事詩人にして[[ミンネゼンガー]]たる[[ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ]]の歌には、自身をコウノトリと比べる滑稽な表現が見られる。「こうのとりは畑の種を食い荒らさぬという。ドイツ中世の最大の叙事詩人にしてミンネゼンガーたるヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの歌には、自身をコウノトリと比べる滑稽な表現が見られる。「こうのとりは畑の種を食い荒らさぬという。/私も同じ、婦人方に粒ほどの損害も与えませぬ」。コウノトリは、蛙、蛇、トカゲなどの小動物しか食べないので畑に害を及ぼすことがないという常識が背景にあるからである<ref>[[伊東泰治]]・馬場勝弥・小栗友一・有川貫太郎・松浦順子「ヴォルフラムの叙情詩-TageliederとWerbelieder-」〔[[名古屋大学]]総合言語センター『言語文化論集』第IV巻、第2号、1983年、179頁〕。ドイツ語原文では、 伊東泰治・馬場勝弥・小栗友一・有川貫太郎・松浦順子「ヴォルフラムの叙情詩-TageliederとWerbelieder-」〔名古屋大学総合言語センター『言語文化論集』第IV巻、第2号、1983年、179頁〕。ドイツ語原文では、 »Seht waz ein storch saeten schade: noch minre schaden hânt mîn diu wîp» Lachmann : Lieder 5,28.</ref>。同じヴォルルラムの十字軍文学の傑作『ヴィレハルム』(375詩節)では、主人公の軍と戦う異教徒軍の石弓隊の描写において、彼らは「いっせいに数多くのまっすぐな矢をつがえ、矢尻までいっぱいに引き絞って射た。すると弦は巣の中のこうのとりの鳴き声のような音を立てた」と語られている<ref>ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ『ヴィレハルム』第8巻([[伊東泰治]]・馬場勝弥・小栗友一・有川貫太郎・松浦順子訳)〔名古屋大学教養部・名古屋大学語学センター 紀要C(外国語・外国文学)22輯 1978、132頁〕。ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ『ヴィレハルム』第8巻(伊東泰治・馬場勝弥・小栗友一・有川貫太郎・松浦順子訳)〔名古屋大学教養部・名古屋大学語学センター 紀要C(外国語・外国文学)22輯 1978、132頁〕。</ref>。
「わが国でも一昔前まではよく読まれてい(た)」[[ヴィルヘルム・ハウフ]]の著名なメルヘン集『隊商』(''Die Karawane'')中の一つ「こうのとりのカリフの物語」(''Die Geschichte von Kalif Storch'')は、[[バグダッド]]の[[カリフ]]、ハシッド(Kalif Chasid)とその大ワジール、マンソール(Großwesir Mansor)がコウノトリに変身する愉快な話である<ref>ヴィルヘルム・ハウフ『魔法物語』(種村季弘訳)[[河出書房新社]]1993。</ref>。