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しかし、紅山文化では、文化は母系であるにも関わらず、太陽女神は草食獣で捕食される動物である兎に変更され、それに伴ってその地位が低下しているように思う。紅山文化では玉亀、玉蛙が発見されており、その点は良渚文化と共通している。朝鮮神話では亀が月神とされており、また朱蒙の父親の一人に「金蛙王」と蛙をトーテムとした人物がいる。中国神話では亀は五山、すなわち世界を支える地面の基盤とされているため、これらの水生生物は紅山文化・良渚文化で共通して、「大地の神」か、あるいは「死んだ神」が変化して月神あるいは星神(特に「金」がつくものは金星)になったもの、とみなされていた可能性があるように思う。「大地の神」であっても、死後天に昇って星神となった、とされることはあるように思うからである。よって、紅山文化の翡翠の玉製品は、必ずしも太陽神に対する信仰のみに特化されていたものではなく、神々を示すものとされていたし、その思想は良渚文化にも受け継がれたように思う。また、神々の役割分担が細分化され、いわゆる「多神教化」が進んでおり、太陽女神の地位の低下もそれに伴った可能性があるように思う。
また、『女性の太陽神を祀るために、神像は高台に吊るされたと思われる<ref>[https://read01.com/o2O5oz.html 現存唯一紅山文化玉器女太陽神;高26寬7.5厚10厘米,重2246克、原文網址:https://read01.com/o2O5oz.html]、壹讀、15-04-21(最終閲覧日:22-12-19)</ref>。』とあることから、「木に吊された生贄([[人身御供]])」があったのではないか、と個人的には思う。彼らが太陽女神に捧げられたものであるのか、それ以外の神に捧げられたものかは判然としないが、「太陽女神の像を吊した」ということは、「'''太陽女神を模して他の神に生贄を捧げた'''」可能性の方が高いように思う。すなわち、太陽女神の兎化に伴って、太陽女神はその地位が低下すると共に、「生贄を捧げられる側」から「生贄となって捧げられる側」へと変化したことが示唆されると考える。」可能性の方が高いように思う。すなわち、太陽女神の兎化に伴って、太陽女神はその地位が低下すると共に、「生贄を捧げられる側」から「生贄となって捧げられる側」へと変化したことが示唆されると考える。太陽女神を模した人身御供であるならば、生贄は女性であった可能性が高く、母系社会ではあっても女性の社会的地位の低下が始まっていたことが窺える。墓の副葬品の中には破壊された女神像と思われるものもあり、「死者の再生」のために女神を模した女性(の延長線にある女神像)を生贄に捧げたことも示唆されるように思う。日本の縄文時代の遺跡にも墓に「意図的に破壊された女神像」が副葬品としてみられることがあり、紅山文化の影響がみられるように思う。 紅山文化からは「目の着いた雲型」の玉器も発見されている。雲は日月を隠すものであるし、時には慈雨ではなく大雨や大雪、嵐をもたらすものである。図7の勾雲形玉器は、このように時には「祟り」とも言うべき災害をもたらす天候神の発生を示すものではないか、と個人的には思う。これは日本で言うところのいわゆる風神・雷神に相当する。
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