* 他田大島
*: 奈良時代の豪族。防人を統べる国造丁。万葉集所収の防人歌を詠んだ。
* [[他田千世売]]
*: 奈良時代の女性。爵2級を賜った。
* [[他田真樹]]*: 平安時代の豪族。[[小県郡]]郡司。[[平貞盛]]と[[平将門]]が[[信濃国分寺]]付近で戦った際に戦死。平安時代の豪族。小県郡郡司。平貞盛と平将門が信濃国分寺付近で戦った際に戦死。
== 金刺部 ==
*: 長野県上田市にある前方後円墳で、上田市唯一かつ東信最東端の前方後円墳。初代国造の武五百建命の墓と伝わり、墳丘上に武五百建命を祀る二子神社があるが、築造は森将軍塚古墳よりも遅い6世紀前半とされており、崇神天皇の御代に国造に任命されたとする記録と矛盾する。
== 参考文献 関連氏族 ==* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%88%BA%E9%83%A8%E6%B0%8F 金刺部氏](最終閲覧日:22-11-07)* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%91%E9%87%8E%E5%9B%BD%E9%80%A0 科野国造](最終閲覧日:22-11-07)=== 若麻績部君氏 ===* 諏訪社の奉斎氏族、古樹紀之房間、樹堂氏(最終閲覧日:22本田善光は推古天皇8年-1110年(600年-08)602年)に信濃国司の供として大和国の京に上る。その際、難波の堀江(現在の大阪市西区北堀江にある和光寺の阿弥陀池)にて、厄落としとして打ち捨てられた尊仏を発見し、安置したい旨を朝廷に願い出て勅許を蒙り、尊仏を信濃国'''伊那郡若麻績里'''の自宅の臼の上に安置したところ、臼が燦然と光を放ったことからここを坐光寺としたとされる。皇極天皇3年(644年)、善光寺の所在地となる信濃(科野国)水内郡芋井郷に尊仏を奉り、寺院建立の勅を蒙りて伽藍を建立。本田善光の子孫が若麻績氏である、と言われている。
以下のような説もある。
<blockquote>善光寺に関与した若麻績部君氏は毛野氏族に出て、諏訪氏族や科野国造族とは別系である。善光寺別当初代の若麻績部君東人(いわゆる誉田善光)は水内郡誉田里の住人と伝えるが、東人からの略系は伝わっている(『善光寺史研究』に所載の「善光寺本願系図」)。この別当家は九世紀頃に毛野同族の丈部氏に男系が変わり、十二世紀中葉には清和源氏の崇徳院判官代村上為国の子息を婿に迎えて栗田氏を称し、善光寺と戸隠の両別当を世襲した。
若麻績部君氏の先祖がどのように上毛野君から分れたのかは不明であり(毛野氏族の系譜の中でどのように位置づけるのかは不明)、諏訪氏や科野国造一族との関係も不明である。ただ、上毛野君氏の実系は、崇神天皇の後裔という皇別ではなく、海神族系の三輪氏族からの分岐であるから、諏訪氏族に通じるものがあり、『善光寺縁起』によると、大和三輪出身の三輪時丸が善光寺に参詣して、そのままこの地に止まったということで、当地を三輪と称したとも伝える事情にもある<ref>[http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keijiban/suwasya1.htm 諏訪社の奉斎氏族]、[http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/index.html 古樹紀之房間]、樹堂氏(最終閲覧日:22-11-08)</ref>。</blockquote>
若麻績氏が三輪氏系の氏族であれば、三輪山の大物主は神武天皇の舅(外戚)とされており、綏靖天皇の子供達からは曾祖父にあたる。ここから三輪氏系の氏族と皇姓とされる金刺氏が発生したとされており、彼らの実在性はともかくとして、金刺氏と若麻績氏が血族であることが示唆されるといえる。若麻績東人の出身である伊那郡若麻績里、善光寺がある水内群芋井はいずれも金刺氏の拠点があった地域である。若麻績氏は金刺氏の近縁あるいは側近といえるような氏族だったのではないだろうか。そしてどちらも大物主の配偶神から賀茂系の氏族へと繋がるの可能性がある。
若麻績氏はその名の遠り、麻に関する氏族である。筑摩郡には伊勢神宮の麻績御厨が置かれ、伊勢神宮に麻を供給していた。
若麻績氏の祖神ははっきりしないが、伊勢の麻績氏と同族であれば、天日鷲命、長白羽神などと関連するか? ただし、長白羽神は伊豆に祀られていたり、服部に関する神社で祀られているので、秦氏系の神と思われるが。
== 参考文献 ==
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%88%BA%E9%83%A8%E6%B0%8F 金刺部氏](最終閲覧日:22-11-07)
** 『國史大辭典』(吉川弘文館)
* [[坂本太郎 (歴史学者)|坂本太郎]]・[[平野邦雄]]『日本古代氏族人名辞典』([[吉川弘文館]])
* 『日本史広辞典』([[山川出版社]])
* 『神道大辞典』([[臨川書店]])
* 古川貞雄編『県史20 長野県の歴史』(山川出版社、2003年)
* {{Cite book|和書|author=|editor=[[近藤敏喬]]|title=古代豪族系図集覧|year=1993|publisher=[[東京堂出版]]|isbn=4-490-20225-3|pages=92,343-352頁|chapter=|ref=keizu}}
* {{Cite book|和書|author=太田亮|authorlink=太田亮|editor=|title=姓氏家系大辞典. 第1巻|url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1130845/130|accessdate=2018-07-08|year=1936|publisher=[[姓氏家系大辞典刊行会]]|isbn=|page=114|chapter=|ref=seishi}}リンクは[[国立国会図書館デジタルコレクション]]、130コマ目。
* {{Cite book|和書|author=|authorlink=|editor=[[黒板勝美]]|title=[[国史大系#第3次:新訂増補国史大系|新訂増補國史大系]] 第7巻|edition=新装版|year=1998|publisher=[[吉川弘文館]]|isbn=4642003088|pages=先代舊事本紀凡例1頁,先代舊事本紀本文147頁|chapter=|ref=taikei}}
* {{Cite book|和書|author=|editor=[[竹内理三]]等|title=日本歴史地図 原始・古代編 下|year=1982|publisher=[[柏書房]]|isbn=|page=290|chapter=|ref=chizu}}
* {{Cite book|和書|author=平凡社地方資料センター|editor=|title=[[日本歴史地名大系]]第二十巻 [[長野県]]の地名|year=1979|publisher=[[平凡社]]|isbn=4582490204|pages=32,281頁|chapter=|ref=taikei2}}
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%91%E9%87%8E%E5%9B%BD%E9%80%A0 科野国造](最終閲覧日:22-11-07)
** 諏訪社の奉斎氏族、古樹紀之房間、樹堂氏(最終閲覧日:22-11-08)
== 子孫 ==
=== 若麻績部君氏 ===
本田善光は推古天皇8年-10年(600年-602年)に信濃国司の供として大和国の京に上る。その際、難波の堀江(現在の大阪市西区北堀江にある和光寺の阿弥陀池)にて、厄落としとして打ち捨てられた尊仏を発見し、安置したい旨を朝廷に願い出て勅許を蒙り、尊仏を信濃国'''伊那郡若麻績里'''の自宅の臼の上に安置したところ、臼が燦然と光を放ったことからここを坐光寺としたとされる。皇極天皇3年(644年)、善光寺の所在地となる信濃(科野国)水内郡芋井郷に尊仏を奉り、寺院建立の勅を蒙りて伽藍を建立。本田善光の子孫が若麻績氏である、と言われている。
以下のような説もある。
<blockquote>善光寺に関与した若麻績部君氏は毛野氏族に出て、諏訪氏族や科野国造族とは別系である。善光寺別当初代の若麻績部君東人(いわゆる誉田善光)は水内郡誉田里の住人と伝えるが、東人からの略系は伝わっている(『善光寺史研究』に所載の「善光寺本願系図」)。この別当家は九世紀頃に毛野同族の丈部氏に男系が変わり、十二世紀中葉には清和源氏の崇徳院判官代村上為国の子息を婿に迎えて栗田氏を称し、善光寺と戸隠の両別当を世襲した。
若麻績部君氏の先祖がどのように上毛野君から分れたのかは不明であり(毛野氏族の系譜の中でどのように位置づけるのかは不明)、諏訪氏や科野国造一族との関係も不明である。ただ、上毛野君氏の実系は、崇神天皇の後裔という皇別ではなく、海神族系の三輪氏族からの分岐であるから、諏訪氏族に通じるものがあり、『善光寺縁起』によると、大和三輪出身の三輪時丸が善光寺に参詣して、そのままこの地に止まったということで、当地を三輪と称したとも伝える事情にもある<ref>[http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keijiban/suwasya1.htm 諏訪社の奉斎氏族]、[http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/index.html 古樹紀之房間]、樹堂氏(最終閲覧日:22-11-08)</ref>。</blockquote>
若麻績氏が三輪氏系の氏族であれば、三輪山の大物主は神武天皇の舅(外戚)とされており、綏靖天皇の子供達からは曾祖父にあたる。ここから三輪氏系の氏族と皇姓とされる金刺氏が発生したとされており、彼らの実在性はともかくとして、金刺氏と若麻績氏が血族であることが示唆されるといえる。若麻績東人の出身である伊那郡若麻績里、善光寺がある水内群芋井はいずれも金刺氏の拠点があった地域である。若麻績氏は金刺氏の近縁あるいは側近といえるような氏族だったのではないだろうか。そしてどちらも大物主の配偶神から賀茂系の氏族へと繋がるの可能性がある。
若麻績氏はその名の遠り、麻に関する氏族である。筑摩郡には伊勢神宮の麻績御厨が置かれ、伊勢神宮に麻を供給していた。
若麻績氏の祖神ははっきりしないが、伊勢の麻績氏と同族であれば、天日鷲命、長白羽神などと関連するか? ただし、長白羽神は伊豆に祀られていたり、服部に関する神社で祀られているので、秦氏系の神と思われるが。
== 系譜 ==
=== 系図 ===
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{{familytree |border=0|01||||||| 01='''[[神武天皇]]'''}}
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{{familytree |border=0|01||||||| 01='''[[神八井耳命]]'''}}
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{{familytree |border=0|01||||||| 01=不明}}
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{{familytree |border=0|01||||||01='''麻背'''}}
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{{familytree |border=0|01||02||| 01=倉足<br />|02=乙頴<br /><small>(諏訪大神大祝)</small>}}
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== 参考文献 ==
* 『國史大辭典』([[吉川弘文館]])* [[坂本太郎 (歴史学者)|坂本太郎]]・[[平野邦雄]]『日本古代氏族人名辞典』([[吉川弘文館]])* 『日本史広辞典』([[山川出版社]])* 『神道大辞典』([[臨川書店]])* 古川貞雄編『県史20 長野県の歴史』(山川出版社、2003年)* {{Cite book|和書|author=|editor=[[近藤敏喬]]|title=古代豪族系図集覧|year=1993|publisher=[[東京堂出版]]|isbn=4-490-20225-3|pages=92,343-352頁|chapter=|ref=keizu}}* {{Cite book|和書|author=太田亮|authorlink=太田亮|editor=|title=姓氏家系大辞典. 第1巻|url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1130845/130|accessdate=2018-07-08|year=1936|publisher=[[姓氏家系大辞典刊行会]]|isbn=|page=114|chapter=|ref=seishi}}リンクは[[国立国会図書館デジタルコレクション]]、130コマ目。* {{Cite book|和書|author=|authorlink=|editor=[[黒板勝美]]|title=[[国史大系#第3次:新訂増補国史大系|新訂増補國史大系]] 第7巻|edition=新装版|year=1998|publisher=[[吉川弘文館]]|isbn=4642003088|pages=先代舊事本紀凡例1頁,先代舊事本紀本文147頁|chapter=|ref=taikei}}* {{Cite book|和書|author=|editor=[[竹内理三]]等|title=日本歴史地図 原始・古代編 下|year=1982|publisher=[[柏書房]]|isbn=|page=290|chapter=|ref=chizu}}* {{Cite book|和書|author=平凡社地方資料センター|editor=|title=[[日本歴史地名大系]]第二十巻 [[長野県]]の地名|year=1979|publisher=[[平凡社]]|isbn=4582490204|pages=32,281頁|chapter=|ref=taikei2}}