キジは、鶏肉料理として焼いたり煮たりする料理の食材として古くから使用されており、四条流包丁書には「鳥といえば雉のこと也」と記されている。少なくとも平安時代頃から食されており、雉鍋、すき焼き、釜飯、雉そば、雉飯などが伝統的な調理法である<ref>鳥居久雄「doi:10.20582/nfcc.38.0_27、食材研究 : 日本の国鳥、雉(キジ)の料理」 名古屋文化短期大学 研究紀要 38(0), 27-36, 2013, naid:110009558970</ref>。
『[[大鏡]]』([[11世紀]]末成立)に、[[藤原兼通]](10世紀)が[[寝酒]]の[[肴]](さかな)に「雉の生肉を好んだ」事が記述されており、[[高階業遠]]がこっそり雉を逃した話が出ている。仏教が普及している社会にあっても、雉肉が美味で食されていた事がわかる。『大鏡』(11世紀末成立)に、藤原兼通(10世紀)が寝酒の肴(さかな)に「雉の生肉を好んだ」事が記述されており、高階業遠がこっそり雉を逃した話が出ている。仏教が普及している社会にあっても、雉肉が美味で食されていた事がわかる。
[[兼好法師]]の[[随筆]]『[[徒然草]]』(14世紀前半)第118段にも、最も品位の高い食用の鳥として言及されている{{sfn|永積|1995|pp=172–174}}。同書によれば、中世日本では天皇・皇后の[[御湯殿上]](女官の詰め所および簡易的な調理場)の棚の上に、調理前の死体の姿で置くことを許された鳥はキジだけだった{{sfn|永積|1995|pp=172–174}}。ところが、あるとき、[[後醍醐天皇]]の[[中宮]](正妃)である[[西園寺禧子]]の宮殿の御湯殿上の棚の上に、キジより品位の劣る[[雁]]の死体がそのままの姿で置かれていた{{sfn|永積|1995|pp=172–174}}。それを見てびっくりした元[[太政大臣]]の[[西園寺実兼]](禧子の父親)は、娘の禧子に散々お小言を食らわせたという{{sfn|永積|1995|pp=172–174}}。