==== 女神の地位の低下を図る中傷系 ====
丹波康頼の『医心方』では、『玉房秘訣』によれば、西王母は陰を養って得道した者で、彼女には夫がなく、童男(男の子)と性交するのが好きだったが、西王母と関係を持った人間の男はすぐ病にかかったという<ref>『医心方』巻二十八, 2021/09/09, https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%86%AB%E5%BF%83%E6%96%B9/%E5%8D%B7%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%85%AB, ウィキソース</ref>。
=== 縫織神としての西王母 ===
西王母は織女を監督する女神である。「[[牛郎織女]]」。一般的な[[織女]]は西王母から分離して、その地位が低下した下位の女神であると管理人は考える。
=== 子安神としての西王母 ===
道教の文献『太上老君説常清静経 杜光庭註』では、西王母は諸天神王帝主の母で、崑崙に居る。『天地論』によれば、西王母は崑崙西側の黄河の水の出るところに居る(一説には'''西亀の山'''に居て、'''龍山'''とも言い、これは九気の根紐、真土の淵府、西北の角、亥子の間である<ref name="太上洞玄霊宝無量度人上品経法"/>)。西王母は天地の母である。また、天公・地母は神々と三界を統率し、天上天下、西王母を至尊の母とみなす。<ref>『太上老君説常清静経杜光庭註』, 2021/10/26, https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%A4%AA%E4%B8%8A%E8%80%81%E5%90%9B%E8%AA%AA%E5%B8%B8%E6%B8%85%E9%9D%9C%E7%B6%93%E6%9D%9C%E5%85%89%E5%BA%AD%E8%A8%BB, ウィキソース</ref><ref group="私注">西王母は'''神々の母'''として確立していったようである。</ref>
== 西王母の変遷 ==
=== 人間への遷移 ===
春秋時代に形成され、戦国時代に流布された『穆天子伝』によれば、周の穆王が西に巡符して「西王母の邦」で最高の礼を尽くして彼女に会い、3年間逗留して帰国したという。この物語での西王母は完全に人間の姿で描かれている。なお、西王母の邦は洛陽から西に1000キロメートルの位置にあったという。