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'''九霊太妙亀山金母'''、'''太霊九光亀台金母'''、'''太虚九光亀台金母元君'''<ref>『太平広記』巻五十六, 2021/08/18, https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E5%BB%A3%E8%A8%98_(%E5%9B%9B%E5%BA%AB%E5%85%A8%E6%9B%B8%E6%9C%AC)/%E5%8D%B7056, ウィキソース</ref>、'''白玉亀台九霊太真元君'''<ref>『太平御覧』巻六百七十七, 2021/08/20, https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E5%BE%A1%E8%A6%BD/0677#台, ウィキソース</ref>、'''白玉亀台九鳳太真西王母'''<ref>『正統道蔵』「上清七聖玄紀経」, 2021/08/20, https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%B8%85%E4%B8%83%E8%81%96%E7%8E%84%E7%B4%80%E7%B6%93, ウィキソース</ref>、'''上聖白玉亀台九霊太真西王母'''<ref>『雲笈七籤』巻八, 2021/08/20, https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%9B%B2%E7%AC%88%E4%B8%83%E7%B1%A4/08#釋《七聖玄記回天九霄經》, ウィキソース</ref>、'''紫微元霊白玉亀台九霊太真元君'''<ref>『洞玄霊宝真霊位業図』, 2021/10/26, https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%B4%9E%E7%8E%84%E9%9D%88%E5%AF%B6%E7%9C%9F%E9%9D%88%E4%BD%8D%E6%A5%AD%E5%9C%96, ウィキソース</ref>、'''西華至極瑶池金母皇君'''<ref name="懺法大観">『懺法大観』巻一, 2021/10/27, https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%87%BA%E6%B3%95%E5%A4%A7%E8%A7%80/%E5%8D%B7%E4%B8%80, ウィキソース</ref>、'''西霊金母梵気祖母元君'''<ref>『道法会元』巻二, 2021/10/26 , https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%81%93%E6%B3%95%E6%9C%83%E5%85%83/%E5%8D%B7%E4%BA%8C, ウィキソース</ref>、'''西漢金真万気祖母元君'''<ref>『道法会元』巻二十一 , 2021/10/26, ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E9%81%93%E6%B3%95%E6%9C%83%E5%85%83/%E5%8D%B7%E4%BA%8C%E5%8D%81%E4%B8%80, ウィキソース</ref>、'''太華西真万気祖母元君'''<ref>『清微仙譜』「上清啓図」, 2021/08/20, https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%B8%85%E5%BE%AE%E4%BB%99%E8%AD%9C#上清啟圖, ウィキソース</ref>、'''太華西真白玉亀台梵気祖母元君'''<ref>『清微元降大法』巻二十五, 2021/08/20, https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%B8%85%E5%BE%AE%E5%85%83%E9%99%8D%E5%A4%A7%E6%B3%95 , ウィキソース</ref>、'''九霊太妙白玉亀台玉光金真梵気祖母元君'''<ref name="太上洞玄霊宝無量度人上品経法">『太上洞玄霊宝無量度人上品経法』巻二, 2021/10/26, http://www.daorenjia.com/daozang9-298, 道人家</ref>、'''九霊太妙白玉亀台夜光金真万気祖母元君'''<ref>『無上黄籙大齋立成儀』巻六, 2021/10/26, https://zh.wikisource.org/wiki/%E7%84%A1%E4%B8%8A%E9%BB%83%E7%B1%99%E5%A4%A7%E9%BD%8B%E7%AB%8B%E6%88%90%E5%84%80/6#木公金母, ウィキソース</ref>、'''太妙天紫府化気西華金母元君'''<ref name="懺法大観"/>、'''無極瑶池大聖西王金母大天尊'''<ref>『瑶池金母普度収円定慧解脱真経』, 2021/08/24, https://zh.wikisource.org/wiki/%E7%91%A4%E6%B1%A0%E9%87%91%E6%AF%8D%E6%99%AE%E5%BA%A6%E6%94%B6%E5%9C%93%E5%AE%9A%E6%85%A7%E8%A7%A3%E8%84%AB%E7%9C%9F%E7%B6%93, ウィキソース</ref><ref>『宝誥大全』「西王金母宝誥」, 2021/08/20, https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%AF%B6%E8%AA%A5%E5%A4%A7%E5%85%A8, ウィキソース</ref>、'''西元九霊上真仙母'''<ref>『上清元始変化宝真上経九霊太妙亀山玄籙』, 2021/08/20, https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%B8%85%E5%85%83%E5%A7%8B%E8%AE%8A%E5%8C%96%E5%AF%B6%E7%9C%9F%E4%B8%8A%E7%B6%93%E4%B9%9D%E9%9D%88%E5%A4%AA%E5%A6%99%E9%BE%9C%E5%B1%B1%E7%8E%84%E7%B1%99, ウィキソース</ref>、'''金母元君'''<ref>中国唐代の道士・杜光庭の編纂した道教の女仙の伝記集である。『墉城集仙録』巻一 , 2021/08/20, https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%A2%89%E5%9F%8E%E9%9B%86%E4%BB%99%E9%8C%84/%E5%8D%B701#金母元君, ウィキソース</ref><ref>中国元代の道士・趙道一の編纂した道教の女仙の伝記集である。『歴世真仙体道通鑑後集』巻一, 2021/08/20, https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AD%B7%E4%B8%96%E7%9C%9F%E4%BB%99%E9%AB%94%E9%81%93%E9%80%9A%E9%91%91%E5%BE%8C%E9%9B%86/1#金母元君, ウィキソース</ref>、'''西霊王母'''や'''西華金母'''<ref>劉 , 1994, p379</ref>、'''西瑶仙姥'''や'''西瑶聖母'''<ref name="懺法大観"/>、'''西老'''<ref>『淮南子』巻六 覧冥訓, 2021/08/20, https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%B7%AE%E5%8D%97%E5%AD%90/%E8%A6%BD%E5%86%A5%E8%A8%93, ウィキソース</ref>などともいう。大抵は俗称の'''王母娘娘'''と呼ばれる<ref>劉, 1994, p379</ref>。
「王母」は祖母や女王のような聖母といった意味合いであり、「西王母」とは西方にある[[崑崙|崑崙山]]上の天界を統べる母なる女王の尊称である。天界にある瑶池と蟠桃園の女主人でもあり、すべての[[女仙]]を支配する最上位の女神。[[東王父]]に対応する。「王母」は祖母や女王のような聖母といった意味合いであり、「西王母」とは西方にある崑崙山上の天界を統べる母なる女王の尊称である。天界にある瑶池と蟠桃園の女主人でもあり、すべての女仙を支配する最上位の女神。東王父に対応する。
== 概要 ==
=== 最初の形象 ===
[[File:Xian May 2007 022.jpg|thumb|right|300px|左から2番めの人物が西王母。頭上に勝を戴いているのがわかる。]]
歴史家の[[陳夢家]]によれば、[[殷墟]]から発掘された[[甲骨文字]]の[[卜辞]]に「西母」という神が見られ、それが西王母の前身であるという{{sfn|歴史家の陳夢家によれば、殷墟から発掘された甲骨文字の卜辞に「西母」という神が見られ、それが西王母の前身であるという<ref>|, 1998|pp=, 164-178}}</ref>
[[東周]]時代に書かれたとされる『[[山海経]]』の大荒西経によると、西王母は「西王母の山」または「玉山」と呼ばれる山を擁する崑崙の丘に住んでおり、西山経には東周時代に書かれたとされる『山海経』の大荒西経によると、西王母は「西王母の山」または「玉山」と呼ばれる山を擁する崑崙の丘に住んでおり、西山経には:「人のすがたで豹の尾、虎の玉姿(下半身が虎体)、よく唸る。蓬髻長髪に玉勝(宝玉の頭飾)を戴く。彼女は天の厲と五残(疫病と五種類の刑罰)を司る。」「人のすがたで豹の尾、虎の玉姿(下半身が虎体)、よく唸る。蓬髻長髪に'''玉勝'''(宝玉の頭飾)を戴く。彼女は天の厲と五残(疫病と五種類の刑罰)を司る。」という半人[[半神]]の姿で描写されている{{sfn|という半人半神の姿で描写されている<ref>|, 1998|pp=164, pp164-222}}。また、海内北経には<>/ref。また、海内北経には:「西王母は几(机)によりかかり、勝を戴き、[[杖]]をつく」「西王母は几(机)によりかかり、勝を戴き、杖をつく」とあり、基本的には人間に近い存在として描写されている{{sfn|<ref>|, 1998|pp=164, pp164-178}}</ref>
また、三羽の鳥が西王母のために食事を運んでくるともいい(『海内北経』)、これらの鳥の名は大鶩、小鶩、青鳥であるという(『大荒西経』)。
=== 人間への遷移 ===[[春秋時代]]に形成され、[[戦国時代 (中国)|戦国時代]]に流布された『[[穆天子伝]]』によれば、[[周]]の[[穆王 (周)|穆王]]が西に巡符して「西王母の邦」で最高の礼を尽くして彼女に会い、3年間逗留して帰国したという。この物語での西王母は完全に人間の姿で描かれている。なお、西王母の邦は[[洛陽]]から西に1000キロメートルの位置にあったという。春秋時代に形成され、戦国時代に流布された『穆天子伝』によれば、周の穆王が西に巡符して「西王母の邦」で最高の礼を尽くして彼女に会い、3年間逗留して帰国したという。この物語での西王母は完全に人間の姿で描かれている。なお、西王母の邦は洛陽から西に1000キロメートルの位置にあったという。
=== 女仙への遷移 ===

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