紋語りは大きく2つの要素からなっており、一つは「特定の娘(末娘)と野獣」の婚姻譚である。怪物退治の要素はない、あるいはほとんどない。野獣は娘の裏切りにあって死にかかるが、娘が助けることとなっている。娘を野獣から助ける英雄は登場しない。要は、「クピードーとプシュケー型」でも「エンリルとニンリル型」でも良いのだが、若い娘を人身御供に対して肯定的な物語といえる。
妹に意地悪して(一応)罰せられる姉がいるのも「クピードーとプシュケー」的だが妹と野獣の婚姻を邪魔しようとしたから罰せられたのであって、むしろ「人身御供を邪魔しようとしたから罰せられた」という内容になってしまっているように思う。この点は「クピードーとプシュケー」とも共通している。 妹に意地悪して(一応)罰せられる姉がいるのも「クピードーとプシュケー」的だが妹と野獣の婚姻を邪魔しようとしたから罰せられたのであって、動機は妬みとなっている。日本の「[[うりこひめとあまのじゃく]]」も、一連の騒動のあまのじゃく側の原因は妬みであるように思う。
野獣は金持ちであり「バラの花」の化身である。よって、植物神でもあり、樹木神でもある、といえる。折ってはいけない(殺してはいけない)樹木神を殺してしまったから、神を再生させるために娘の生贄が必要とされる、とそのような思想が崩れたもののように思われる。植物神でもある炎帝(あるいは川の神)に妻を与えて再生させよう、という趣旨の神話が変化したものと思われる。クピードーもエンリルも炎帝が変化したものといえよう。