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ナナイは、かつてサケ・マスなどの皮から春から秋にかけての普段着や靴をつくったため、漢民族から'''魚皮韃子'''(ユイピーダーズ)・'''魚皮套子'''(ユイピータオズ)と称された<ref name="77katoh275" /><ref name="ogihara99" />。また、婚礼の衣装として華麗な刺繍を施した魚皮衣もつくられてきた<ref name="ogihara99" />。今日では魚皮衣は嫁入り道具として、あるいは博物館等への出品のためにつくられるだけで、日常的に着用する衣服ではなくなってきている<ref group="注釈">「魚皮韃子」と称されたのは、ナナイのみならずニヴフなども含めてであった。</ref><ref name="ogihara72" /><ref name="77katoh275" /><ref name="ogihara99" />ニヴフの人びともまた、衣類はもとより簡単な天幕のようなものまで魚皮を材料にしてこれを作ったところから「魚皮韃子」とされた<ref name="77katoh275" />。ここで「韃子(韃靼の人びと)」とは、ロシア人でもなく中国人でもない「土着の人」という意味である<ref name="77katoh275" />。
漁撈が代表的な生業であるため、食生活は[[魚類|魚]]食が中心である。男たちが漁撈で得たサケ・マスは女たちによって干し魚にされ、これはユコラと呼ばれた漁撈が代表的な生業であるため、食生活は魚食が中心である。男たちが漁撈で得たサケ・マスは女たちによって干し魚にされ、これはユコラと呼ばれた<ref name="ogihara99" />。ユコラは[[飯|米飯]]や[[パン]]に相当するナナイの[[主食]]で、頭や骨の部位を干したものはイヌの餌となった。ユコラは米飯やパンに相当するナナイの主食で、頭や骨の部位を干したものはイヌの餌となった<ref name="ogihara99" />。また、[[アイヌ料理]]の[[ルイベ]]や[[ヤクート料理]]のストロガニナに似た凍魚も好んで食べられた。凍魚は、かつては[[調味料]]や[[香辛料]]を用いずにそのまま食べていたが、現在では生の魚肉を[[酢]]・[[醤油]]・[[唐辛子]]などの[[調味料]]・[[香辛料]]で味付けして食べることが増えたという。。また、アイヌ料理のルイベやヤクート料理のストロガニナに似た凍魚も好んで食べられた。凍魚は、かつては調味料や香辛料を用いずにそのまま食べていたが、現在では生の魚肉を酢・醤油・唐辛子などの調味料・香辛料で味付けして食べることが増えたという。
伝統的な[[住宅|住居]]は、河川の近くに穴を掘り、[[木材]]を用いて半地下式住居(竪穴住居)をつくるか、地上式の木造家屋をつくって夏季の住まいとし、冬季には狩猟に適する場所に住地を移していた伝統的な住居は、河川の近くに穴を掘り、木材を用いて半地下式住居(竪穴住居)をつくるか、地上式の木造家屋をつくって夏季の住まいとし、冬季には狩猟に適する場所に住地を移していた<ref name="ogihara94" />。現在、そうした住居は漁撈の際の臨時の寝泊りのために用いるだけで、[[ロシア人]]や[[漢民族]]のものと変わらない住居に住むことが多くなっている。。現在、そうした住居は漁撈の際の臨時の寝泊りのために用いるだけで、ロシア人や漢民族のものと変わらない住居に住むことが多くなっている。
[[ハバロフスク]]の北75キロメートルにある{{仮リンク|シカチ・アリャン|en|Sikachiハバロフスクの北75キロメートルにあるシカチ・アリャン(Sikachi-Alyan}}にはナナイ族の民族[[博物館]]があり、伝統的な衣装や漁の道具が展示されている。Alyan)にはナナイ族の民族博物館があり、伝統的な衣装や漁の道具が展示されている。
== 宗教・精神生活 ==

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