'''黄帝を含めた五帝等の話は、もともと各地の様々な神話・伝説であったものを、戦国時代の人が時代順に並べる形式に整えて歴史にしたと考えられている'''<ref>堀敏一『古代の中国』29-33頁。加上説も参照。</ref>。学問的に実在したことが知られるのは殷(商)以降であるから、それよりはるか以前の阪泉の戦いは史実であるかは不明である。
== 私的解説 ==
「阪泉の戦い」と「[[涿鹿の戦い]]」は同一の事象を2つに分けたもの、という説がある<ref>軍神の変容、湯浅邦弘著、島根大学教育学部紀要(人文・杜会科学一第二十六巻 一一五頁~二一二頁 平成四年十二月)、p116</ref>。管理人もそのように思う。炎帝と蚩尤は共に「牛頭」で現される。おそらく、日本神話の概念になるが、[[炎帝神農|炎帝]]を神の和魂(おだやかな相)とすると、[[蚩尤]]は荒魂(荒ぶる相)ということになるのではないだろうか。
牛頭の神といえば、日本では須佐之男がそのような神と同一視された。西欧ではギリシア神話のミーノータウロスのような怪物神が存在する。須佐之男は倒されることはないが、天界から地上に追放される。ミーノータウロスはテーセウスに倒される。おそらく、「'''[[炎帝神農|炎帝]][[蚩尤]]'''」とも言うべき、おおよそ紀元前5000年頃に倒されたであろう実在の人物は、弁髪であり、かつ、その後の伝承で
- 倒される神、あるいは非業の死を遂げる神
- 天界あるいは類天界から追放される神
と2種類の伝承に分かれ、各地に分布していったものと思われる。そのトーテムは、おそらくミーノータウロスのように、やはり「牛」が主だったのではないだろうか。
== 参考文献 ==
**吉田賢抗『史記』一(本紀)(新釈漢文大系)、明治書院、1973年。
* 史記Ⅰ、司馬遷著、小竹文夫・小竹武夫訳、筑摩世界文學大系6、筑摩書房、1971
* 軍神の変容、湯浅邦弘著、島根大学教育学部紀要(人文・杜会科学一第二十六巻 一一五頁~二一二頁 平成四年十二月)
== 関連項目 ==