と、序列に従って延々と続くことになる。'''サテネ'''という女神はそれぞれの<span style="color:red">'''自分'''</span>の部族の「母親」である。'''トゥワレ'''はそれぞれ、自分の部族では狩人でありシャーマンだけれども、<span style="color:red">'''下位の部族'''</span>に対しては「太陽神」であり「'''支配者(父親)'''」ということになる。'''「管理人(支配者)」の象徴を「太陽神」'''とするのであれば、太陽神であるのは「猿のサテネ女神」、「猿のトゥワレ」、「バナナのトゥワレ(アメタ)」ということになり、複数の太陽神が存在することになるが、'''女性の太陽神'''は'''ただ一人'''ということになる。男性形の太陽神は大勢いるが、彼らは'''女性の太陽神の代理'''としての支配者だ、といえる。としての支配者だ、といえる。だから「トゥワレ」という名前の男性の太陽神は各部族にいて、それぞれが太陽神である。「サテネ」という母女神も各部族にいるのだけれども、彼らは大抵の場合太陽神ではない、し、もしかしたら月の女神にしたり、大地の女神にしたり、水の女神にしたりするのも'''任命者次第'''ということになるのかもしれない、と思う。ヴェマーレ族の場合、ラビエは「月の女神」に任命された。ラビエとサテネが「同じもの」であるならばサテネも月の女神に任命された、ともいえる。しかし、下位の女神をトゥワレが自由に任命できるものであるならば、必ずしも「母女神」は一人である必要はない、ともいえるのではないだろうか。そう考えれば、ラビエは「月の女神」に任命されたが、サテネは死んで「黄泉の女神」に任命されたかもしれない。彼らを「一つの女神」とするのか、「複数の女神」とするのかもトゥワレの判断次第である。そうすればトゥワレの判断次第で、ラビエとムルア・サテネは「別のもの」ともいえることになる。とすれば、ラビエはムルア・サテネから分かれた「一面相」といえるかもしれないが、「全く別の神」ともいえる。ヴェマーレ族の場合、本当はどのように考えられていたのだろうか。その点を彼らの社会構造からきちんと考察していない点がイェンゼンの「至らない点」といえる。露骨な「民族差別思想」を「文化の一種」と言っちゃう吉田とかは、同じ日本人として恥ずかしい、という以外、個人的には言葉が出てこない気がするわけである。