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『書紀』巻第六によると、(上記の出来事から34年後の)垂仁天皇26年には、天皇の命で大連の物部十千根(もののべ の とおちね)が、出雲に神宝の検校をしにいったと伝えられている<ref>『日本書紀』垂仁天皇26年8月3日条</ref>。
 
=== 出雲建(いずもたける) ===
出雲建(いずもたける<ref>出雲建(日本人名大辞典)</ref>)は、『古事記』等に伝わる古代日本の人物。『日本書紀』に記載はない。
 
『古事記』景行天皇段によれば、倭建命(やまとたけるのみこと)は天皇の命で筑紫の熊曾建(くまそたける)を討伐したのち、帰途に出雲に入った。そしてそこにいる出雲建を殺そうと考え、まず出雲建と親しくなった。倭建命は密かに赤檮(イチイ)の木で木刀を作って偽の佩刀とし、出雲建と肥河(斐伊川)で水浴した際、先に川から上がって出雲建の刀を身に着けて刀の交換を提案した。果たして、遅れて川から上がった出雲建は偽の刀を身につけたが、刀を抜くことが出来ず、倭建命に討たれた<ref name="古事記">『新編日本古典文学全集 1 古事記』小学館、2004年(ジャパンナレッジ版)、pp. 221-223。</ref><ref>出雲建(古代氏族), 2010年</ef>。そして倭建命は次の歌を詠んだという。
 
<blockquote>やつめさす 出雲建が 佩ける大刀 黒葛(つづら)多纏(さはま)き さ身無しにあはれ<ref name="古事記"/></blockquote>
== 関連項目 ==

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