=== 丹生川の伝承 ===
元和7年(1621年)の奥書を持つ『千光寺記』には、高山市丹生川町下保にある袈裟山千光寺 (高山市)の縁起が記されている。これによれば、仁徳帝のころ飛騨国に宿儺という者があり、八賀郷日面(ひよも)出羽ヶ平(でわがひら)の岩窟中より出現した。身のたけは十八丈、一頭に両面四肘両脚を有する'''救世観音の化身'''<ref>救世観音といえば法隆寺のものが有名であるが、両面宿儺と聖徳太子との間に何か関連性はあるのだろうか。</ref>であり、千光寺を開いた。このとき山頂の土中に石棺があり、法華経一部・袈裟一帖・千手観音の像一躯を得たという<ref>長谷川忠崇『飛州志』付録「千光寺記」(岡村利平編『飛騨叢書 第1冊』住伊書店、1911年)[https://dl.ndl.go.jp/ 国立国会図書館デジタルコレクション]</ref>。同じく丹生川町日面の善久寺の創建も両面宿儺大士と伝え、本尊釈迦如来のほかに両面宿儺の木像を安置する<ref>『岐阜県の地名 日本歴史地名大系21』(平凡社、1989年)「日面村」の項。</ref>。また、位山(高山市一宮町)の鬼「七儺」を、両面宿儺が天皇の命により討ったともされる<ref name="watanabe">渡邊昭五編『日本伝説大系 7』(みずうみ書房、1982年)「二つ面の宿儺」の項。</ref>。位山の付近には飛騨一宮'''水無神社'''があるが、享保年間に編纂された『飛州志』では神宝の一つとして「七難の頭髪」を挙げ、神主家の説として'''鬼神七難が神威により誅伐された'''伝承を記す<ref>「飛州志 巻第四」(『神道大系 神社編24 美濃・飛騨・信濃国』)</ref>。
<blockquote>飛騨の伝説での両面宿儺は、法螺貝を吹きながら岩壁の中から突然現れ、身の丈は5m以上もありました。両面の異形であることは日本書記と同じですが、宿儺は住民に信仰や農耕を指導し、丹生川村日面の鍾乳洞(両面窟)に住みました。丹生川村千光寺の寺伝によると、この寺は、仏教寺院として開山される前、両面宿儺によって開かれました。また宿儺は、朝廷から派遣された武振熊とは戦わず位山に案内して、帰順の意としてイチイの木で作った笏(しゃく)を献上しました。今でも特に丹生川村では、両面様といって両面宿儺を崇めています。</ref>
=== 金山の伝承 ===