== 下位集団 ==
チワン族は言葉の[[方言]]差も大きく、プーヨイチワン族は言葉の方言差も大きく、プーヨイ(布越伊)、プーノン(布儂)、プーノン(布土)、カンヤン(講央)などの異なる自称を持つ下位集団が20余りあるが、中国共産党の民族識別工作の下で、チワン族にまとめられている。
== 宗教 ==
正一派の道教を信じ、冠婚葬祭の儀礼もこれに則って道士が行うことが多い。家の中にある神棚には、先祖を中心に奉り、合わせて左右にかまど神と子供の成育を見守る聖母娘娘などが奉られる。近代にキリスト教の布教も行われたが、浸透しなかった。
葬儀は道教式が多く、北部では土葬、南部では土葬した後、数年後に掘り出して[洗骨し、金塔(カムタ)などと呼ばれる据え置き型の大きな骨壺に遺骨を納め直す[複葬が多い。埋葬場所は風水によって決める。などと呼ばれる据え置き型の大きな骨壺に遺骨を納め直す複葬が多い。埋葬場所は風水によって決める。
== 文化 ==
=== 芸能 ===
[[画像:LBW-M1-bronze drum.jpg|thumb|250px|right|[[広西]]で出土した銅鼓]]
チワン族の伝統文化としては青銅製の太鼓「銅鼓」(ニェーン、nyenz)も知られている。[[イ族]]、[[ミャオ族]]などの周辺民族にも広がったドンソン文化を代表するもので、中国南部の雲南省からベトナムなどの東南アジアにかけて出土も多く、音がよく響き、宗教的な意味を持つ楽器として使われた他、古代の権力と財産の象徴でもあった。銅鼓には精巧な鋳造で民族の姿を描いたものもあり、部落制など、古代社会の様子を示す資料にもなっており、これを叩いてリズムを取る民族音楽も伝えられている。
チワン族はまた古来より歌舞を好み、歌姫として劉三姐が著名で、映画の題材にもなっている。チワン族は民謡を歌うことで有名なのである。歌詞は美しく、押韻するように作られる。民謡の中には歴史を語る古い歌もあれば、生産技術を教える生産の歌や、および酒の歌、恋の歌もある。主に苦しい歌で、たとえば作男の歌婦人の苦しい歌などである。チワン族は踊りも得意で、悠久の歴史を持つ銅鼓の踊りは、リズムが明るく、ステップも力強い。農閑期や祝日、冠婚葬祭の時、各地で一問一答形式で歌う歌垣を行う。彼らはこの日を「歌の市」と呼んでいる。歌垣の風習やチワン語による歌劇の壮劇が伝わる。
[[靖西市]]と[[徳保県]]にはシン・ヤーハイと呼ばれる伝統的な靖西市と徳保県にはシン・ヤーハイと呼ばれる伝統的な[[操り人形]]劇がある<ref name="sinou">国立民族学博物館編、『深奥的中国―少数民族の暮らしと工芸』、pp60-61、2008年、東方出版、大阪、ISBN 978-4-86249-108-4</ref>。
=== 工芸 ===
工芸品としては五色の糸で美しく刺繍を施した[[壮錦]]が有名で、図案が精巧で美しく現在も生産されている。工芸品としては五色の糸で美しく刺繍を施した壮錦が有名で、図案が精巧で美しく現在も生産されている。チワン族は手織布の生地を使って多種多様なデザインの服を作る。[[藍染め]]などの[[染色]]技術も伝統的に持っている。女性は普段は青みがかった黒のズボンをはく、ズボンのすそは少し広げ、頭を綾織のタオルのようなもので包み、腰には精緻なデザインのエプロンを結んでいる。多くの若者は前ボタン式の上着を着て、腰に紐を結んでいる。[[服飾]]は男女とも[[チワン族は手織布の生地を使って多種多様なデザインの服を作る。藍染めなどの染色技術も伝統的に持っている。女性は普段は青みがかった黒のズボンをはく、ズボンのすそは少し広げ、頭を綾織のタオルのようなもので包み、腰には精緻なデザインのエプロンを結んでいる。多くの若者は前ボタン式の上着を着て、腰に紐を結んでいる。服飾は男女とも'''黒色]]'''を正式の礼装とする。
=== 建築 ===
== 関連項目 ==
* {{ill2|[[姆六甲]]:チワン族の創世神。女神。中国神話の[[女媧]]に相当する。* [[布洛陀|zh|布洛陀}} - チワン族が創世神として信仰している神。]]:チワン族の知恵の神。中国神話の主に[[伏羲]]に相当する。
== 外部リンク ==