社伝によると
<blockquote>「第十代崇神天皇の時、四道将軍丹波道主命が当地を巡視されたとき、蟻が群がっているのをご覧になり、『近くに人里があるに違いない』とお供の者に村里の在りかを探させました。道のほとりの大木の根元に石を拝む老人がいるのを見て、不思議に思った供人が『どのような神様ですか』と問うと、老人は『才ノ神』と答えました。供人がこのことを命に申し上げたところ、命は驚いて『恐れ多い』とすぐにかけつけて拝まれました。これよりこの地を蟻道(ありじ、有路の地名の語源)の里と呼び、この神をまつって『才ノ神』とあがめるようになりました」と(社頭案内板より)。<br>別伝として「又、第十二代景行天皇の妹倭姫命が三種の神器『鏡・剣・勾玉』を奉じて丹波与謝の宮におられたとき、道をつけられ『才ノ神』をまつってこの地の護り神と定められたとも言います」と。</blockquote>
== 参考文献 ==