『三国遺事』王暦・新羅始祖赫居世条の伝える建国神話は、骨子は『三国史記』と同じであるが細部に違いがみられる。
:天から降りてきた6村の長が有徳の王を求めて評議していたところ、霊気が蘿井の麓に下ったので見に行った。白馬が跪いている様が伺えたが、そこには紫(青色)の卵があっただけで、馬は人の姿を見ると嘶いて天に昇った。卵を割ってみると中から男の子が現れ出て、その容姿は優れていた。村長たちは男の子を沐浴させると、体の中から光が出てきた。鳥や獣は舞い踊り、地は震え、日月の光は清らかであった。このことに因んで赫居世王と名づけ、居瑟邯<ref>「居西干」と同語の音写</ref>(きょしつかん、コスルガム)と号した。王となったとき赫居世は13歳であり、同時に同じく神秘的な出生をした閼英を王妃とし、国号を徐羅伐(ソラボル)・徐伐(ソボル)(きょしつかん、コスルガム)と号した。王となったとき赫居世は13歳であり、同時に同じく神秘的な出生をした[[閼英夫人|閼英]]を王妃とし、国号を徐羅伐(ソラボル)・徐伐(ソボル)<ref>『三国遺事』のこの箇所には「今俗訓京宇云徐伐。以此故也。」という分注がある。徐伐(ソボル)は、首都金城(慶州市)付近を指している。ちなみに「都」(ソウル)とは無関係である。</ref> とした。国号についてはあるいは斯羅(シラ)・斯盧(シロ<ref>現代日本音ではシロだが古い音はシラ</ref>)ともいう。
『三国遺事』によると、中国の王室の娘[[娑蘇夫人]]が、夫がいないのに妊娠したので海を渡り、中国から辰韓にたどり着き、赫居世居西干とその妃閼英夫人を生んだ<ref>延恩株, 2011, p92-p. 93</ref><ref>野村伸一, 2001, p3</ref><ref>韓国民族文化大百科事典</ref><ref>国語国文学資料辞書</ref>。
<blockquote>其始到辰韓也。生聖子為東國始君。蓋赫居閼英二聖之所自也。故稱雞龍雞林白馬等。雞屬西故也。嘗使諸天仙織羅。緋染作朝衣。贈其夫。國人因此始知神驗。</blockquote>
<blockquote>([[娑蘇夫人|娑蘇]]は)はじめ辰韓にきて、聖子を生み、東国の最初の王となった。たぶん、赫居世と閼英の二聖を生んだことであろう。それで'''鶏竜'''・'''鶏林'''・'''白馬'''(など)の称があるが、(これは)鶏が西がわ(西方)に属するからである。あるとき([[娑蘇夫人|娑蘇]]が)諸天の仙女たちに、羅うすものを織らせ、緋色に染めて朝服を作り、彼女の夫に贈った。国の人がこのことによってはじめてその神験を知った。<ref group="私注">鶏は古代中国で雷神の象徴だったと思う。白い動物は古代日本で雷神の象徴とされていると思う。娑蘇夫人が雷女神であることが推察されるのではないだろうか。また[[娑蘇夫人]]には織物の女神でもある天照大神の性質も含まれているように思う。</ref></blockquote>
在位61年にして紀元4年3月に死去し、虵陵に葬られたという。『三国遺事』によれば、赫居世が死んで昇天して7日後に、'''遺体が地に落ちてバラバラになった'''。国人がこれを集めて葬ろうとしたが大虵(大蛇)に阻まれたのでバラバラとなった五体をそれぞれに葬って五つの陵とした。そのために王陵を虵陵という。
== 家系 ==
*母親:[[娑蘇夫人]]
**王后:[[閼英夫人]]
***長男:南解次次雄(朴南解)以下の人物については、慶州朴氏系図にのみ登場し、史書には存在しない。
***次男:パクトゥク(朴忒)
'''馬'''と'''犬'''は、'''[[黄帝]]'''のトーテムであり、土、水を意味する。そのため馬が関わっていても「'''犬祖神話'''」として差し支えない。
'''瓢'''を名乗っている点は、[[伏羲]]を連想させる。昇天後、遺体が地に落ちてバラバラになったというのは、[[伏羲・女媧神話]]の最後に「肉片を地にまいた」というくだりを彷彿とさせる。伝承が混乱したのか、あるいは意図的に書き換えたのか、と思う。一応[[女媧]]型女神がまいた、という意味の暗喩かと考える。閼英夫人はそのような恐ろしい妻ではないのだが。型女神がまいた、という意味の暗喩かと考える。[[閼英夫人]]はそのような恐ろしい妻ではないのだが。
== 参考文献 ==