蘇民将来の逸話を基に岩手県内を始め各地には蘇民祭が伝わっており、とくに奥州市水沢区の天台宗妙見山黒石寺の黒石寺蘇民祭をはじめとする岩手県内の蘇民祭は選択無形民俗文化財に選択されている。また、京都の八坂神社や伊勢・志摩地方の年中行事では、厄除け祈願として、茅の輪くぐりや「蘇民将来」と記された護符の頒布]]、注連飾りなどの祭祀が盛んに行われている。
京都祇園社の祇園祭は、元来は御霊を鎮めるためにおこなわれたのが最初であったが、平安時代末期には疫神を鎮め、退散させるために花笠や山車を出して市中を練り歩く「やすらい(夜須礼)」の祭祀となった。山車につけられた山鉾は空中の疫鬼を追いこむための呪具、花笠は追い立てられた厄鬼を集めてマツの呪力で封じ込めるための呪具であり、また、祭りの際の踊りは、本来、地に這う悪霊を踏み鎮める呪法であった京都祇園社の'''祇園祭'''は、元来は御霊を鎮めるためにおこなわれたのが最初であったが、平安時代末期には疫神を鎮め、退散させるために花笠や山車を出して市中を練り歩く「やすらい(夜須礼)」の祭祀となった。山車につけられた山鉾は空中の疫鬼を追いこむための呪具、花笠は追い立てられた厄鬼を集めてマツの呪力で封じ込めるための呪具であり、また、祭りの際の踊りは、本来、地に這う悪霊を踏み鎮める呪法であった<ref name=fujimaki/>。悪霊や疫鬼は、これらによって追い立てられて祇園感神院(八坂神社)に集められるが、そこには蘇民将来がおり、また、疫鬼の総元締めであるスサノオが鎮座して、その強い霊威によって悪霊や疫鬼の鎮圧・退散が祈願されたのである<ref name=fujimaki/>。 == 祇園祭について(覚え書き等) ==<blockquote>田舎の旧六月は水の神の祭り月であって、これを天王様とも祇園とも呼ぶのが普通になっている。祇園社の起こりは、疫病の神を「''御霊''」として祀ったことによるとされている。いわゆる御霊系の祭りでも旧六月のものは水との縁が深く、水の神の祭と態様を同じくしているが、神を「水の神」とする信仰は記録の上にはまだ現れていない。これは水の神をその怖ろしさから、疫病の神とみるようになったのではなかろうか。古来より河童は胡瓜(久離を好み、人々は初物を河童に捧げたりしていた。これは祇園とも関連付けられ、胡瓜は祇園を過ぎると食べるものではない、とされた地方もある。また、これを過ぎなければ食べてはならぬ、という地方もあり、祇園の頃は水の神に胡瓜を捧げる節の時期でもあった。古くは瓠と川菜とをもって水の神に供える、という祭りがあり、また、瓢箪をもって、水の霊を力を試みる、という伝承もあったようである。''この瓜に対する信仰は輸入ではない。''<ref>新訂 妖怪談義、柳田国男、角川ソフィア文化、2012年、90-95p</ref></blockquote>
== 護符 ==