「作物の種を管理する」という役目が古くは太陽女神の仕事であったとするならば、后稷は何らかの理由でその役目を手に入れた、男性の「太陽神」といえる、と考える。火神の性質があるので、生まれた時に母親を焼き殺してしまったのである。同じく中国神話の[[祝融]]に近い神といえよう。
高句麗の人々は東明聖王と后稷の伝承が似ていることに気がついて、高辛氏の子孫、言い換えれば'''后稷'''の子孫を名乗ったものか。この伝承はさらに日本の賀茂系氏族にまで連なり、同族性を示唆する根拠となっているように感じる。
== 参考文献 ==