出雲市多久町にある神社。'''多久川流域'''にある。祭神は多伎都彦命と'''天御梶姫命'''(あめのみかじひめのみこと)である。天御梶姫命は天甕津日女命と同一視される<ref>天甕津日女命が「御梶姫」とも呼ばれるとすると、諏訪大社の神紋である「梶の葉」紋と何か関係はあるのだろうか?(管理人)</ref>。「尾張国風土記」逸文における'''阿麻乃彌加都比売'''とも同じ女神であろう。
『出雲国風土記』楯縫郡に、「土地の古老が語り伝えて言ったことには、阿遅須枳高日子の命の后、天の御梶日女の命が、多具の村においでになって、 多伎都比古の命をお産みになった。その時、胎児の御子に教えて仰せられたことには、 「おまえの御父上のように元気に泣きなさい。生きてゆこうと思うならば、ここがちょうどいい」とおっしゃった。いわゆる石神は、すなわちこれ、多伎都比古の命の御霊代である。日照り続きで雨乞いをした時は、かならず雨を降らせられるのである。(「日本古典文学全集 風土記」 小学館、p202「おまえの御父上のように元気に泣きなさい。生きてゆこうと思うならば、ここがちょうどいい」とおっしゃった。いわゆる'''石神'''は、すなわちこれ、多伎都比古の命の御霊代である。日照り続きで雨乞いをした時は、'''かならず雨を降らせられる'''のである。(「日本古典文学全集 風土記」 小学館、p202-203)」とある。
この神社は「大船大明神」とも呼ばれており、大船明神としての縁起としては、安康天皇の御代、近江から松本氏が勧請し、大船山に鎮座したという。その時、船にて勧請したその船が、今、岩となって大船山になったらしい。(HP:多久神社、玄松子より)