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ウシは新石器時代に西アジアとインドで野生の[[オーロックス]]が別個に家畜化されて生まれた。学説としては、西アジアで家畜化されたものが他地域に広がったという一元説が長く有力であった<ref>津田恒之 『牛と日本人:牛の文化史の試み』 東北大学出版会、2001年9月。ISBN 4925085409。17頁。</ref><ref>松川, 2010, p29</ref>。ところが、1990年代になされたミトコンドリアDNAを使った系統分析で、現生のウシがインド系のゼブ牛と北方系のタウルス牛に大きく分かれ、その分岐時期が20万年前から100万年前と推定された。これは、せいぜい1万年前とされるウシの家畜化時期よりはるかに古い。そこで、オーロックスにもとからあった二系統が、人類によって別々に家畜化された結果、今あるゼブ牛、タウルス牛となったという二元説が広く支持されている<ref>万年英之・内田宏・広岡博之 「ウシの起源と品種」『ウシの科学』 広岡博之編、朝倉書店〈シリーズ〈家畜の科学〉〉1、2013年11月、ISBN 978-4-254-45501-4。5-6頁。</ref><ref>松川, 2010, p29</ref>。
ウシは、亜種関係のゼブ牛・タウルス牛の間はもとより、原種のオーロックスとも問題なく子孫を残せるので、家畜化された後に各地で交雑が起こった。遺伝子分析によれば、ヨーロッパの牛にはその地のオーロックスの遺伝子が入り込んでいる。東南アジアとアフリカの牛は、ゼブ牛とタウルス牛の子孫である{{sfn|<ref>松川|, 2010|p=33}}。さらに、[[東南アジア島嶼部]]のウシには、別種だがウシとの交雑が可能なこともある[[バンテン]]の遺伝子が認められる{{sfn|, p33</ref>。さらに、東南アジア島嶼部のウシには、別種だがウシとの交雑が可能なこともあるバンテンの遺伝子が認められる<ref>松川|, 2010|p=33}}, p33</ref>
ウシの家畜化は、[[ヤギ]]や[[ヒツジ]]と比べて遅れた。オーロックスは獰猛で巨大な生物であったので、小型の動物で飼育に習熟してはじめて家畜化に成功したと考えられている。しかしいったん家畜化されると、ウシはその有用性によって[[牧畜]]の中心的存在となった。やがて成立した[[エジプト文明]]や[[メソポタミア文明]]、[[インダス文明]]においてウシは農耕用や牽引用の動力として重要であり、また各種の祭式にも使用された。紀元前6世紀初頭にはメソポタミアにおいて[[プラウ]](犁)が発明され、その牽引力としてウシはさらに役畜としての重要度を増した。このプラウ使用はこれ以降の各地の文明にも伝播した。と比べて遅れた。オーロックスは獰猛で巨大な生物であったので、小型の動物で飼育に習熟してはじめて家畜化に成功したと考えられている。しかしいったん家畜化されると、ウシはその有用性によって牧畜の中心的存在となった。やがて成立したエジプト文明やメソポタミア文明、インダス文明においてウシは農耕用や牽引用の動力として重要であり、また各種の祭式にも使用された。紀元前6世紀初頭にはメソポタミアにおいてプラウ(犁)が発明され、その牽引力としてウシはさらに役畜としての重要度を増した。このプラウ使用はこれ以降の各地の文明にも伝播した。
ウシはやがて世界の各地へと広がっていった。[[ヨーロッパ]]ではウシは珍重され、最も重要な家畜とされていた。8世紀後半ごろには車輪付きのプラウが開発され、また[[くびき]]の形に改良が加わることで牽引力としての牛はさらに重要となった<ref>ジョゼフ・ギース、フランシス・ギース 『中世ヨーロッパの農村の生活』 青島淑子訳、講談社〈講談社学術文庫〉、2008年5月。ISBN 978-4-06-159874-4。30頁。</ref>。牛肉はヨーロッパ全域で食用とされ、中世の食用肉のおよそ3分の2は牛肉で占められていた{{sfn|ロリウー|2003|p=81}}。ヨーロッパ北部では食用油脂の中心はバターであり、また牛乳も盛んに飲用された{{sfn|ロリウー|2003|p=29}}。ヨーロッパ南部では食用油脂の中心は[[オリーブオイル]]であり、牛乳の飲用もさほど盛んでなかったが、牛肉は北部と比べ盛んに食用とされた{{sfn|ロリウー|2003|p=81}}。

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