== 旅する豚 ==
東アジアでは中国の新石器時代から豚は家畜化されていた。中国南部を発祥地とするオーストロネシア語族は南太平洋にまで豚を連れて行った。紀元前10世紀頃から始まったオーストロネシア語族の拡散にともなって豚も海を渡り、メラネシアやポリネシアの多くの島々で重要な家畜となった。東アジアでは中国の新石器時代から豚は家畜化されていた。豚や猪は神話的にも重要な動物で、羿は桑林に住んでいた封豨(ほうき)という人食いの猪を退治している。河姆渡文化の遺跡からは、「猪紋黒陶鉢」といって、胴に目の文様がついた猪が描かれた鉢が出土している<ref>紀元前5000年くらいのもの</ref>。
中国南部を発祥地とする'''オーストロネシア語族'''(オーストロネシアごぞく)は、台湾から東南アジア島嶼部、太平洋の島々、マダガスカルに広がる。台湾原住民諸語との類縁性があり、この台湾原住民の諸語が言語学的にもっとも古い形を保っている。考古学的な証拠と併せて、オーストロネシア語族は台湾からフィリピン、インドネシア、マレー半島と南下し、西暦 は南太平洋にまで豚を連れて行った。紀元前10世紀頃から始まったオーストロネシア語族の拡散にともなって豚も海を渡り、メラネシアやポリネシアの多くの島々で重要な家畜となった。オーストロネシア語族(オーストロネシアごぞく)は、台湾から東南アジア島嶼部、太平洋の島々、マダガスカルに広がる。オーストロネシア語は台湾原住民諸語との類縁性があり、この台湾原住民の諸語が言語学的にもっとも古い形を保っている。考古学的な証拠と併せて、オーストロネシア語族は台湾からフィリピン、インドネシア、マレー半島と南下し、西暦 5 世紀にインド洋を越えてマダガスカル島に達し、さらに東の太平洋の島々に拡散したとされる。
豚や猪は神話的にも重要な動物で、羿は桑林に住んでいた封豨(ほうき)という人食いの猪を退治している。河姆渡文化の遺跡からは、「猪紋黒陶鉢」といって、胴に目の文様がついた猪が描かれた鉢が出土している<ref>紀元前5000年くらいのもの</ref>。そのため、台湾から南太平洋に、豚と共に拡散した人々は、初期の稲作文化を含む、紀元前1000年以前の中国南部の神話・伝承も、共に台湾を始めとした南太平世に持っていったと思われるのである。そのため、台湾から南太平洋に、豚と共に拡散した人々は、初期の稲作文化を含む、紀元前1000年以前の中国南部の神話・伝承も、共に台湾を始めとした南太平世に持っていったと思われるのである。
== 扶桑と養蚕 ==