七夕神社
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祭神
由緒
創建時期は不明。天平期730年代の成立と言われる『肥前国風土記』に小郡の大崎の土地に七夕の神様が祀られるようになった経緯が昔話として載っている。
『肥前国風土記』基肄郡 姫社の郷の項に
姫社の郷 この郷の中に川がある。名を山道(やまじ)川という。その源は郡の北の山(基山)から出て、南に流れて御井の大川(筑後川)とであっている。昔、この川の西に荒ぶる神がいて、路行く人の多くが殺害され、死ぬ者が半分、死を免れる者が半分という具合であった。そこでこの神がどうして祟るのかそのわけを占って尋ねると、そのト占のしめすところでは、「筑前の国宗像の郡の人、珂是古(かぜこ)にわが社を祭らせよ。もしこの願いがかなえられれば祟らない」とお告げがありました。宗像の珂是古が幡を捧げて「私に祀ってほしいならこの幡よ順風に飛んで祈る神の辺りに落ちよ」と祈祷し、幡を飛ばして占ってみると御原の郡の姫社の杜(七夕神社)に落ち、また還り飛んで山道川の辺りに落ちました(姫古曽神社)。その夜に、夢に機織り道具が回りながら出てきて珂是古を押さえ、そこで祟る神様が女神様で有ることがわかり神社を建てて祀った、とあります。
近年、日本各地の七夕のイベントで掲げた短冊が送られていて七夕の御祈願や短冊を神前に供え焚きあげている。
神事
所在地
- 福岡県小郡市大崎1番地