地蔵菩薩
地蔵菩薩(じぞうぼさつ)は、仏教の信仰対象である菩薩の一尊。釈尊が入滅してから弥勒菩薩が成仏するまでの無仏時代の衆生を救済することを釈迦から委ねられたとされる[1]。
サンスクリット語では「クシティガルバ」(क्षितिघर्भ 、Kṣitigarbha)という[2]。クシティは「大地」、ガルバは「胎内」「子宮」の意味で、意訳して「地蔵」としている。また持地、妙憧、無辺心とも訳される。三昧耶形は、如意宝珠と幢幡(竿の先に吹き流しを付けた荘厳具)、錫杖。種字は ह (カ)。
大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々を、その無限の大慈悲の心で包み込み、救う所から名付けられたとされる。
日本における民間信仰では、道祖神としての性格を持つとともに、「子供の守り神」として信じられており[3]、よく子供が喜ぶ菓子が供えられている。
一般的に、親しみを込めて「お地蔵さん」、「お地蔵様」と呼ばれる。
概要
地蔵菩薩は、利天に在って釈迦仏の付属を受け、釈迦の入滅後、5億7600万年後か56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、現世に仏が不在となってしまうため、その間、六道すべての世界(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)に現れて衆生を救う菩薩であるとされる (六道能化〈ろくどうのうげ〉, 「ろくどう‐のうげ」 - デジタル大辞泉)。
虚空蔵菩薩と地蔵菩薩が一対で安置される例は京都・広隆寺(講堂)などにあるが、一般的ではない。
地蔵菩薩の起源は、インド]]のバラモン教の神話に登場する大地の女神プリティヴィーで、大地を守護し、財を蓄え、病を治すといった利益信仰があり、これが仏教にも取り入れられ、地蔵菩薩が成立したとされる[1]。経典として「地蔵菩薩本願経」「大乗大集地蔵十輪経」「占察善悪業報経」が地蔵三経と呼ばれるが、「占察善悪業報経」は偽経とも言われる[1]。
像容
一般には剃髪した声聞・比丘形(僧侶の姿)で白毫があり、袈裟を身にまとう。装身具は身に着けないか、着けていても瓔珞(ネックレス)程度。左手に如意宝珠、右手に錫杖を持つ形、または左手に如意宝珠を持ち、右手は与願印(掌をこちらに向け、下へ垂らす)の印相をとる像が多い(この場合、伝統的に彫像であることが多く画像はまれである)。
しかし密教では胎蔵曼荼羅地蔵院の主尊として、髪を高く結い上げ装身具を身に着けた通常の菩薩形に表され、右手は右胸の前で日輪を持ち、左手は左腰に当てて幢幡を乗せた蓮華を持つ。
功徳利益
『地蔵菩薩本願経』には、善男善女のための二十八種利益[4]と天龍鬼神のための七種利益[5]が説かれている。
- 二十八種利益
- 天龍護念(天と龍が守護してくれる)
- 善果日増(善い行いの果報が日々増していく)
- 集聖上因(悟りの境地へ至る因縁が集まってくる)
- 菩提不退(悟りの境地から後退しない)
- 衣食豊足(衣服や食物に満ち足りる)
- 疾疫不臨(疫病にかからない)
- 離水火災(水難や火災を免れる)
- 無盗賊厄(盗賊による災厄に遭わない)
- 人見欽敬(人々が敬意を払って見てくれる)
- 神鬼助持(神霊が助けてくれる)
- 女転男身(女性から男性になれる性転換や性同一性障害の治療ではなく、当時の社会での男尊女卑の思想に基づいている。)
- 為王臣女(王や大臣の令嬢になれる)
- 端正相好(端正な容貌に恵まれる)
- 多生天上(天界に生まれ変わる事が多い)
- 或為帝王(あるいは人間界に生まれ変わって帝王になる)
- 宿智命通(過去世〈宿命、しゅくみょう〉を知る智慧を持ち、過去世に通ずる)
- 有求皆従(要求があれば皆が従ってくれる)
- 眷属歓楽(眷属が喜んでくれる)
- 諸横消滅(諸々の理不尽な事が消滅していく
- 業道永除(地獄などの悪い場所に生まれ変わらせる業道(karma-patha)が永く除かれる)
- 去処盡通(赴く場所に うまくいく)
- 夜夢安楽(睡眠中に安らかな夢を見る)
- 先亡離苦(先祖・先亡の霊が苦しみから解放される)
- 宿福受生(過去に なした善行によって良い生まれを受ける)
- 諸聖讃歎(諸聖人が讃えてくれる)
- 聰明利根(聡明で利発になる)
- 饒慈愍心(慈悲の心に溢れる)
- 畢竟成佛(必ず仏に成る)
- 七種利益
- 速超聖地(さらに すぐれた境地へ速やかに進める)
- 悪業消滅(悪いカルマが消滅する)
- 諸佛護臨(諸々の仏が護ってくれる)
- 菩提不退(悟りの境地から後退しない)
- 増長本力(本来持っていた能力が増幅される)
- 宿命皆通(過去世の全てに通ずる)
- 畢竟成佛(必ず仏に成る)
真言
オン カカカ ビサンマエイ ソワカ(Oṃ ha ha ha vismaye svāhā)
邦訳すれば『オーン、ha・ha・ha(地蔵菩薩の種子を3回唱える)、希有なる御方よ、スヴァーハー』となる。
中国における地蔵信仰
偽経とされる『閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経』(預修十王生七経)や『地蔵菩薩発心因縁十王経』(地蔵十王経)によって、道教の十王思想と結びついて、中国においては地蔵菩薩が閻魔または十王の一尊としての閻魔王と同一の存在であるという信仰が広まった。閻魔王は地蔵菩薩として人々の様子を事細かに見ているため、綿密に死者を裁くことができるとされ、泰山王とともに十王の中心に据えられた。
このため中国においては地藏王菩薩と呼ばれ、主に死後の(地獄からの)救済を願って冥界の教主として信仰される。日本の神奈川県横浜市中区にも、死者の永眠を祀る地藏王廟(中華義荘)が華僑によって建立されている。
明代の小説である『西遊記』でも、冥界を司る地藏王菩薩が孫悟空(斉天大聖)の暴れっぷりを地獄から天の玉皇大帝に上奏する場面が描かれている。
地藏王菩薩の聖地は、安徽省にある九華山である。これは、新羅の地蔵という僧(696年 - 794年、俗名金喬覚、俗姓と法名を連ねて、金和尚あるいは金地蔵とも呼ばれる)が、この地にある化城寺に住したことに因むものである。齢99で、この地で入滅した地蔵は、3年後に棺を開いて塔に奉安しようとしたところ、その顔貌が生前と全く変わることがなかったことなどから、地蔵を地藏王菩薩と同一視する信仰が生まれ、その起塔の地が地藏王菩薩の聖地となったものである。その故事によって、文殊菩薩の五台山、普賢菩薩の峨眉山、観音菩薩の普陀山と並ぶ中国仏教の聖地(中国四大仏教名山)として、今日まで信仰を集めている。
日本における地蔵信仰
日本においては、浄土信仰が普及した平安時代以降、極楽浄土に往生の叶わない衆生は、必ず地獄へ堕ちるものという信仰が強まり、地蔵に対して、地獄における責め苦からの救済を欣求するようになった。
姿は出家僧の姿が多く、地獄・餓鬼・修羅など六道をめぐりながら、人々の苦難を身代わりとなり受け救う、代受苦の菩薩とされた。際立って子供の守護尊とされ、「子安地蔵」と呼ばれる子供を抱く地蔵菩薩もあり、また小僧姿も多い。
賽の河原で、獄卒に責められる子供を、地蔵菩薩が守る姿は、中世より仏教歌謡「西院河原地蔵和讃」を通じて広く知られるようになり、子供や水子の供養において地蔵信仰を集めた。関西では地蔵盆は子供の祭りとして扱われる。
また道祖神(岐の神)と習合したため、日本全国の路傍で石像が数多く祀られている。交通の便に乏しい時代では大きな仏教寺院へ参詣することができず、簡易な参拝ができる身近な仏像として崇敬を集めた。そのような地蔵に導師が置かれた例は少なく、そのため本来の仏教の教義を離れ、神道との混同や地域の独自の民間信仰の意味合いなども濃くした。
路傍の地蔵尊はさまざまな祈念の対象になり、難治の傷病の治癒を祈念すれば成就する、と喧伝されて著名な地蔵尊となったり(とげぬき、いぼとり、眼病、子供の夜泣きなど)、併せた寓話が後に広く童話としても知られるようになった例(六地蔵、言うな地蔵、しばられ地蔵、笠地蔵、田植え地蔵など多数)がある。
六地蔵
日本では、地蔵菩薩の像を6体並べて祀った六地蔵像が各地で見られる。これは、仏教の六道輪廻の思想(全ての生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)に基づき、六道のそれぞれを6種の地蔵が救うとする説から生まれたものである。六地蔵の個々の名称については一定していない。地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道の順に檀陀(だんだ)地蔵、宝珠地蔵、宝印地蔵、持地地蔵、除蓋障(じょがいしょう)地蔵、日光地蔵と称する場合と、それぞれを金剛願地蔵、金剛宝地蔵、金剛悲地蔵、金剛幢地蔵、放光王地蔵、預天賀地蔵と称する場合が多いが、文献によっては以上のいずれとも異なる名称を挙げている物もある。像容は合掌のほか、蓮華、錫杖、香炉、幢、数珠、宝珠などを持物とするが、持物と呼称は必ずしも統一されていない。
日本では、六地蔵像は墓地の入口などにしばしば祀られている。中尊寺金色堂には、藤原清衡・基衡・秀衡の遺骸を納めた3つの仏壇のそれぞれに6体の地蔵像が安置されているが、各像の姿はほとんど同一である。
勝軍地蔵
愛宕権現の本地仏。大宝年間、役小角が白山修験の開祖とされる泰澄と山城国愛宕山に登ったとき、龍樹菩薩、富楼那尊者、毘沙門天、愛染明王を伴い大雷鳴とともに現れ、天下万民の救済を誓った地蔵菩薩が、勝軍地蔵であったという伝承が残る。また、敏達天皇の御代、日羅が勝軍地蔵を護持したとされ、さらに『元亨釈書』には清水寺の延鎮が勝軍地蔵と勝敵毘沙門天の両尊に坂上田村麻呂の戦勝祈願を行ったことが記されている。しかしながら、儀軌などが現存せず、延鎮が行ったとされる修法を初め、固有の尊容も明確でない。『地蔵菩薩本願経』『十輪経』『陀羅尼集経』にある「煩悩の賊、天魔の軍に勝つ」、「軍陣闘戦に際して、難を免れる」などの記述が、この尊を感得する依拠とされたと考えられている。幡(軍旗)や剣などを持ち、甲冑姿であることは共通するが、踏割蓮華に立つ立像と、神馬にまたがる騎馬像とが存在する。
道祖神との関係
先に述べた「六地蔵」とは六道それぞれを守護する立場の地蔵尊であり、他界への旅立ちの場である葬儀場や墓場に、多く建てられた。また道祖神信仰と結びつき、町外れや辻に「町の結界の守護神」として建てられることも多い。これを本尊とする祭りとして地蔵盆がある。
また道祖神のことをシャグジともいうことから、シャグジに将軍の字を当て、道祖神と習合した地蔵を将軍地蔵(勝軍とも書く)とも呼ぶようになった。
鬼門地蔵
中日新聞(2020年)によれば、愛知県半田市亀崎地区には「鬼門地蔵」と称する地蔵がある。個人宅の鬼門方向に祀られ、2003年の調査では、同地区で約70体が確認されている。史料はなく、由緒は不明という[6]。
地蔵菩薩に関する伝承
古代インド王の転生
『地蔵菩薩本願経』によると、昔、インドに大変慈悲深い2人の王がいた。一人は自らが仏となってから人を救おうと考え、一切智成就如来という仏になった。だが、もう一人の王は先に人を悟りの境地に渡してから自らも悟ろうと考えた。それが地蔵菩薩であるテンプレート:Refnest。地蔵菩薩の霊験は膨大にあり、人々の罪業を滅し成仏させるとか、苦悩する人々の身代わりになって救済するという説話が多い。
子供の守護・救済
菩薩は如来に次ぐ高い見地だが、地蔵菩薩は「一斉衆生済度の請願を果たさずば、我、菩薩界に戻らじ」との決意で、その地位を退し、六道を自らの足で行脚し、救われない衆生、親より先に死去した幼い子供の霊を救い、旅を続けている。
幼い子供が親より先に死ぬと、親を悲しませ親孝行の功徳も積んでいないことから、三途の川を渡れず、賽の河原で鬼のいじめに遭いながら、石の塔婆作りを永遠に続けなければならないとされ、賽の河原に率先して足を運んでは、鬼から子供達を守り、仏法や経文を聞かせて徳を与え、成仏への道を開いていく逸話は有名である。
このように、地蔵菩薩は最も弱い立場の人々を最優先で救済する菩薩であることから、古来より絶大な信仰の対象となっていた。
施餓鬼法要との関係
また後年になると、地蔵菩薩の足下には餓鬼界への入口が開いているとする説が広く説かれるようになる。地蔵菩薩像に水を注ぐと、地下で永い苦しみに喘ぐ餓鬼の口に、その水が入る。
仏教上における餓鬼は、生前に嘘を他言した罪で、燃える舌を持っており、口に入れた飲食物は、炎を上げて燃え尽き、飲み食いすることは出来ないが、地蔵菩薩の慈悲を通した水は餓鬼の喉にも届き、暫くの間は苦しみが途切れるといわれている(その間に供養を捧げたり、徳の高い経文を聞かせたりして成仏を願うのが、施餓鬼の法要の一端)。
これは、六道全てに隔てなく慈悲を注ぐといわれる、地蔵菩薩の功徳を表す説であり、施餓鬼法要と地蔵菩薩は、深い関係として成立していった。
仏教上では、非道者で仏法を否定、誹謗する者を一闡提(略して闡提)というが、これには単に「成仏し難い者」という意味もあることから、一切の衆生を救う大いなる慈悲の意志で、あえて成仏を取り止めた地蔵菩薩や観音菩薩のような菩薩を「大悲闡提」と称し、通常の闡提とは、明確に区別する。
垂迹神
地蔵菩薩に関連する仏典
- 地蔵三経
- 『地蔵菩薩本願経』
- 『大乗大集地蔵十輪経』
- 『占察善悪業報経』
- 密教経典(金剛乗経典)
- 『仏説地蔵菩薩陀羅尼経』
- 中国で成立したとされる偽経
- 『閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経』
- 日本で成立したとされる偽経
- 『地蔵菩薩発心因縁十王経』
- 『仏説延命地蔵菩薩経』
関連項目
参照
- ↑ 1.0 1.1 1.2 鏡花の女人救済の原型(諸岡哲也)仏教大学大学院紀要文学研究科篇第47号(二〇一九2019年3月)
- ↑ 大江吉秀『日本のほとけさまに甘える』2016年、東邦出版、27頁。
- ↑ 大江吉秀『日本のほとけさまに甘える』2016年、東邦出版、28頁。
- ↑ 『地蔵菩薩本願経』「若未來世有善男子善女人見地藏形像及聞此經乃至……得二十八種利益」
- ↑ 『地蔵菩薩本願経』「若現在未來天龍鬼神聞地藏名禮地藏形或……得七種利益」
- ↑ テンプレート:Cite news