三穂津姫
三穂津姫(ミホツヒメ)は、日本神話に登場する女神。三穂津姫尊、御穂津姫命とも書く。高皇産霊尊の娘で、大物主神あるいは大国主神の后。
概要[編集]
『日本書紀』の葦原中国平定場面の第二の一書にのみ登場する。
記述[編集]
日本書紀[編集]
巻第二 第九段一書第二[編集]
大己貴神(大国主神)が国譲りを決め、幽界に隠れた後、高皇産霊尊が大物主神(大己貴神の幸魂奇魂)に対し「もしお前が国津神を妻とするなら、まだお前は心を許していないのだろう。私の娘の三穂津姫を妻とし、八十万神を率いて永遠に皇孫のために護られよ」と詔した。
考証[編集]
「ミホツヒメ」の「ツ」は「の」を表す格助詞で、「ミホ」の女神という意味になる。
祀る神社[編集]
- 氷川女體神社(埼玉県さいたま市緑区宮本) - 配祀
出雲大神宮[編集]
出雲大神宮(京都府亀岡市千歳町出雲無番地、丹波国桑田郡出雲社) - 主祭神(大国主神とともに主祭神となっており、大国主神の后とされている。)
古くは御蔭山を神体山として祀る信仰があったとされる。祭神の大国主神については、一般には出雲国の出雲大社(杵築大社)から勧請したとされている[1]。ただし社伝では逆に、出雲大社の方が出雲大神宮より勧請を受けたとし、「元出雲」の通称がある。社伝では、『丹波国風土記』逸文として「元明天皇和銅年中、大国主神御一柱のみを島根の杵築の地に遷す」の記述があるとする[2](ただし、社伝で主張するのみでその逸文も不詳)。
鎮花祭が行われている。旧暦の3月は、花の散る時期で、昔から花が散る頃に疫病が起こると言われていた。花が飛散する時期に疫病が広まらない為に鎮花祭が、平安時代から宮中において盛んに行われたと言う。鎮花祭では、出雲風流花踊りがある。
花踊りは雨乞いの踊りでもあり、笹踊りや浴衣踊りとも呼ばれていた。たびたび、この地は旱魃に苦しめられていた。雨乞いの為、人々は…最初は御神体である御蔭山で大火を。それでダメなら、次に極楽寺の雨乞い観音に水をかけ。それでもダメなら、浴衣姿で雨乞いの踊りを行ったとのこと[3]。
境内には「真名井の水」と呼ばれる湧き水がある。古来より御神水と崇められてきたという[4]。
美保神社[編集]
美保神社(島根県松江市美保関町美保関) - 主祭神(大国主神の子の事代主神とともに祀られている。)
元々の当社の祭神は御穂須須美命のみであったのが、記紀神話の影響により事代主神と三穂津姫命とされたものと見られる。えびす神としての商売繁盛の神徳のほか、漁業・海運の神、田の虫除けの神として信仰を集める。また、「鳴り物」の神様として楽器の奉納も多い。
御穂神社[編集]
御穂神社(静岡県静岡市清水区三保)・羽車神社(御穂神社の離宮) - 主祭神、三保の松原の入り口にある。大己貴命(ここでは別名を三穂津彦命としている)とともに祀られており、「羽衣の松」と縁が深い(三穂津彦命、御穂津姫命という表記もあり)。
三保松原には、天女が羽衣をかけたという「羽衣の松」があり、羽衣の松から御穂神社社頭までは松並木が続くが、この並木道は羽衣の松を依代として降臨した神が御穂神社に至るための道とされ「神の道」と称される[5]。現在でも筒粥神事では海岸において神迎えの儀式が行われるが、その際に神の依りついたひもろぎは松並木を通って境内にもたらされる[6]。これらから、御穂神社の祭祀は海の彼方の「常世国」から神を迎える常世信仰にあると考えられている[7](?)。
村屋坐弥冨都比売神社[編集]
村屋坐弥冨都比売神社(奈良県磯城郡田原本町藏堂) - 主祭神(大物主神とともに主祭神となっており、大物主神の后とされている。)
三穂津姫命(別名 弥富都比売神、みふつひめ)を主祭神とし、大物主命を配祀する。三穂津姫命は大国主命の后神であり、記紀神話では大物主と大国主は同神としている。大物主命は大神神社の祭神であり、その后神を祀る当社はその別宮とされる。
大和川のほとりにあり、川の女神を祀ったものかと思う。弥富都比売神とは「御布都比売」とも読めると思うので、元は布留川の女神か、経津主神と対になる女神だったかもしれない。あるいは、三輪山は元は「佐比売山」あるいは「亀山」と呼ばれており、山の女神を祀ったのかもしれないと思う。いずれにしても、三輪山信仰が盛んになるにつれて、大物主命の配偶神とされたものと思う。
物部氏系の神社なので、広瀬大社の若宇加能売命と同じ女神かもしれないと思う。
飛鳥神奈備三日女神[編集]
加夜奈留美命、宇須多岐比女命、不足留比女命。飛鳥神社の主祭神である。飛鳥神社は、奈良県奈良市北京終町にある神社。一般に京終天神社、他に紅梅殿神社、平城坐飛鳥神社とも呼ばれる[8][9]。養老二年八月[10]。大和國高市郡飛鳥村の飛鳥神社の御祭神を、平城の新都左京四條七坊飛鳥の丘に、南都元興寺の鎮守社として奉遷、鎮祭したことをもって創建された。
不足留比女命(ふたるひめのみこと)は、「布都比売」の変化したものではないだろうか。
私的考察[編集]
「三穂」と表されるように、三女神を習合させた性質が強い女神なのではないだろうか。死して再生した後の大国主命の妻とされる。再生後の大国主命は、須佐之男命の権威を手に入れた、地上における須佐之男命の代理人としての性質が強い。要は「疫神」である。丹後乙女神社に伝わる伝承でも、主人公の「さんねも」は最後に水に流されて天から転落する。
妻とされる三穂津姫は「厄払いの女神」であってもおかしくなく、美保神社では「田の虫除けの神」の主体だったとしても不思議ではない。その場合は、広瀬大社の若宇加能売命と似た性質の女神だったと思われる。その場合の大国主命は穂雷命に相当しているともいえる。
美保神社の本来の祭神が大国主命と沼河比売の子神だったとすれば、これは建御名方神と御穂須須美命を同一のものとする、という暗喩であると同時に、彼らの母女神と思われる沼河比売と三穂津姫も同一である、という暗喩ではないだろうか。
ただし、出雲大神宮、三輪山信仰関連では、鎮花祭の主体と思われ、この女神は夫神と共に「疫神」として扱われているように思う。
参考文献[編集]
関連項目[編集]
- ミホススミ:『出雲国風土記』嶋根郡美保郷条に登場する、同じく名にミホを冠する神。オオナモチとヌナガワヒメとの間に生まれた。
- 乙子狭姫:岩見の女神。おそらく近い関係の女神であろう。養母としての女神。
- 狭穂姫命:記紀神話の女神。おそらく同一の女神であろう。燃やされた女神。
- 佐保姫:同じ女神と考える。
- 狹井女神:狹井坐大神荒魂神社の本来の祭神女神と考えられる。弥富都比売神と非常に近似した女神ではないか。疫神としての性質を持つ。
- 鎮花祭:春に行う女神(疫神)を鎮める祭。
- 豊受大神:少なくとも丹後・丹波では、天女として表されるなど、同一の女神と考える。
- 沼河比売:越の女神。同一のものとしようとする意図があるのではないか。
- 洪水神話・中国:広瀬大社について
外部リンク[編集]
脚注[編集]
- ↑ 『京都府の地名』・『国史大辞典』等の百科事典の記載に拠る。『徒然草』 第236段においても出雲大神宮について「大社をうつして、めでたく造れり。」と記している。
- ↑ 「御祭神」 , https://web.archive.org/web/20100316060124/http://www.izumo-d.org/history/gosaijin.htm, 2010年3月16日(出雲大神宮公式サイト)。
- ↑ 鎮花祭(出雲大神宮)(最終閲覧日:14-12-09)
- ↑ 「真名井の水」 , https://web.archive.org/web/20100721150755/http://www.izumo-d.org/guide/guide-manai.htm, 2010年7月21日(出雲大神宮公式サイト)。
- ↑ 御穂神社(神々), 1987年
- ↑ 御穂神社(神々), 1987年
- ↑ 御穂神社(神々), 1987年
- ↑ 奈良市史 社寺編, p147
- ↑ 奈良県史 5 神社, p268
- ↑ 境内に残る木製の由緒案内板の記載によると、遷宮は和銅3年(711年)