牛
ウシ(牛)は、哺乳綱鯨偶蹄目ウシ科ウシ亜科の動物である。野生のオーロックスが、人類によって家畜化されて生まれた。但し、アメリカ哺乳類学会では、ウシ、オーロックス、コブウシをそれぞれ独立した種として分類している。
「ウシ」は、狭義では特に(種レベルで)家畜種のウシ(学名:Bos taurus)を指す。一方、やや広義では、ウシ属 (genus, Bos)を指し、そこにはバンテンなどの野生牛が含まれる。さらに広義では、ウシ亜科 (subfamilia, Bovinae) の総称である。すなわち、アフリカスイギュウ属、アジアスイギュウ属、ウシ属、バイソン属などを指す。これらは牛と認められる共通の体形と特徴を持つ。大きな胴体、短い首と一対の角、胴体と比べて短めで前後にだけしか動けない脚、軽快さの乏しい比較的鈍重な動き、などが特徴である。ウシと比較的近縁の動物としては、同じウシ亜目(反芻亜目)にキリン類やシカ類、また、同じウシ科の仲間としてヤギ、ヒツジ、レイヨウなどがあるが、これらが牛と混同されることはまずない
以下ではこのうち、上記の狭義である「家畜ウシ」について解説する。
名称[編集]
ウシは、伝統的には牛肉食文化が存在しなかった地域においては、例えば漢字文化圏における「牛」ないし十二支の配分である「丑(うし)」のように、単一語で総称されてきた。これに対し、古くから牛肉食や酪農を目的とする家畜としての飼育文化や放牧が長く行われてきた西洋地域(例えば、主に英語圏など商業的牛肉畜産業が盛んな地域)においては、ウシの諸条件(性別、避妊・去勢の有無、食肉用、乳牛、等)によって多種多様な呼称をもつ傾向がある。
21世紀初期には欧米由来の食文化のグローバル化が進展し、宗教的理由から牛肉食がタブーとされている地域を除いては、牛肉食文化の世界的拡散が顕著である。特に商業畜産的要因から、現代の畜産・肥育・流通現場においては世界各地で細分化された名称が用いられる傾向がある。
宗教・文化[編集]
人間に身近で、印象的な角を持つ大型家畜である牛は、世界各地で信仰対象や動物に関連する様々な民俗・文化のテーマになってきた。
古代エジプト人はオシリス、ハトホル信仰を通して雄牛(ハピ、ギリシャ名ではアピス)を聖牛として崇め、第一王朝時代(紀元前2900年ごろ)には「ハピの走り」と呼ばれる行事が行われていた[1]。創造神プタハの化身としてアピス牛信仰は古代エジプトに根を下ろし、ラムセス2世の時代にはアピス牛のための地下墳墓セラペウムが建設された[1]。聖牛の特徴とされる全身が黒く、額に白い菱形の模様を持つウシが生まれると生涯神殿で手厚い世話を受け、死んだ時には国中が喪に服した。一方、普通のウシは食肉や労働力として利用されていたことが壁画などから分かっている。
主にインドで信仰されているヒンドゥー教では牛(特にコブウシ)を神聖視している(スイギュウはそうではない)。このためインドは牛の飼育頭数は多いものの、牛肉食を忌避する国民が多い。インドでは従来も州により、牛肉の扱いを規制していた。2017年5月26日にはインド連邦政府が、食肉処理を目的とした家畜市場における牛の売買を禁止する法令を出した。これに対して、イスラム教徒や世俗主義者から「食事の選択権に対する侵害」として反対運動や訴訟が起き[2]、インド最高裁判所は7月11日に法令差し止めを決めた[3]。インドでは牛肉を売ったり、食べたりしたと思われた人が殺害される事件も起きている[4]。
日本でも牛(丑)は十二支の鳥獣に入っているほか、牛頭天王のような神や、牛鬼など妖怪のモチーフになっている。また、身近にいる巨大な哺乳類であることから、その種の中で大きい体格を持つ生き物の和名に用いられることがある(ウシエビ、ウシガエル、ウシアブなど)。
信仰[編集]
農耕を助ける貴重な労働力である牛を殺して神に供える犠牲獣とし、そこから転じて牛そのものを神聖な生き物として崇敬することは、古代より永くに亘って広範な地域で続けられてきた信仰である。現在の例として、インドの特にヒンドゥー教徒の間で牛が神聖な生き物として敬われ、食のタブーとして肉食されることの無いことは、よく知られている。インダス文明でも牛が神聖視されていた可能性があり、インド社会における係る概念の永続性は驚くべきものがある。また、興奮した牛の群れにあえて追われるスペインなどラテン文化圏の祭事「エンシエロ」、聖なる牛の群れに踏まれることでその年の幸運を得ようとするムガル帝国時代より続くヒンドゥー教の祭事「ゲーイ・ガウーリ」(ディーワーリーの期間中に行われる祭事の一つ)など、過激な伝統行事も世界にはある。
日本語の方言・民俗[編集]
日本の東北地方では牛をべこと呼ぶ。牛の鳴き声(べー)に、「こ」をつけたことによる。地方によっては「べご」「べごっこ」とも呼ぶ。
柳田國男によれば、日本語では牡牛が「ことひ」、牝牛が「おなめ」であった。また、九州の一部ではシシすなわち食肉とされていたらしく、「タジシ(田鹿)」と呼ばれていた[5]。
雌牛[編集]
- モリガン:ケルト神話の女神。モリガンはクー・フーリンに傷を負わせられるが、モリガンが差し出したミルクをクー・フーリンが飲むと、彼女の傷は癒えた。
慣用句[編集]
- 「牛にひかれて善光寺参り」 - 人に連れられて思いがけず行くこと。昔、老婆がさらしておいた布を牛が引っ掛けて善光寺に駆け込んだので、追いかけた老婆はそこが霊場であることを知り、以後たびたび参詣したという伝説から。
- 「牛の歩み(牛歩)」 - 進みの遅いことの譬え。
- 牛歩戦術
- 「牛の角を蜂が刺す」 - 牛の硬い角には蜂の毒針も刺さらないことから、何とも感じないこと。
- 「牛の寝た程」 - 物の多くあるさまの形容。
- 「牛は牛づれ(馬は馬づれ)」 - 同じ仲間同士は一緒になり、釣り合いが取れるということ。
- 「牛は水を飲んで乳とし、蛇は水を飲んで毒とす」 - 同じものでも使い方によっては薬にも毒にもなることの譬え。
- 「牛も千里、馬も千里」 - 遅いか早いかの違いはあっても、行き着くところは同じということ。
- 「牛を売って牛にならず」 - 見通しを立てずに買い換え、損することの譬え。
- 「牛飲馬食」 - 牛や馬のように、たくさん飲み食いすること。「鯨飲馬食」ともいう。
- 「牛耳る(牛耳を執る)」 - 団体・集団の指導者となって指揮を執ること。
- 「商いは牛の涎」 - 細く長く垂れる牛の涎(よだれ)のように、商売は気長に辛抱強くこつこつ続けることがコツだという譬え。
- 「角を矯めて牛を殺す」- 些細な欠点を矯正しようとして却って全体を台無しにすること。
- 「九牛の一毛」 - 非常に多くの中の極めて少ないもの。
- 「暗がりから牛」 - 物の区別がはっきりしないこと。あるいはぐずぐずしていることの譬え。
- 「鶏口となるも牛後となるなかれ(牛の尾より鶏の口、鶏口牛後)」 - 大集団の下っ端になるより小集団でも指導者になれということ。人の下に甘んじるのを戒める、もしくは、小さなことで満足するを否とする言葉。
- 「牛なし、帽子ばっかり(all hat and no cattle)」ファッションでカウボーイの帽子をかぶっていても、牛は持っていない。見かけだおし、格好だけの人のこと。テキサス州の慣用表現。
性別による名称[編集]
- 牡の牛(牡牛、雄牛)
- 牡(オス)の牛。日本語では、牡牛/雄牛(おうし、おすうし、古訓:『をうじ』とも)[6]、牡牛(ぼぎゅう)(おうし)という。「雄牛(ゆうぎゅう)」という読みも考えられるが、用例は確認できず、しかし種雄牛(しゅゆうぎゅう、雄の種牛〈しゅぎゅう、たねうし〉)[7]という語形に限ってはよく用いられている。古語としては「男牛(おうし、古訓:をうじ、をうじ)」もあるものの、現代語として見ることは無い。
- 英語では、"bull"、"ox"、方言で "nowt"という。
- ラテン語では "taurus"(タウルス)といい、"bos"と同じく性別の問わない「牛」の意もある。
- 牝の牛(牝牛|雌牛)
- 牝(メス)の牛。日本語では、牝牛/雌牛(めうし、めすうし、古訓:めうじ、をなめ、をんなめ(ヒンギュウ、うなめ等)[8][9]、牝牛(ひんぎゅう、ヒンギュウ)という。「雌牛(しぎゅう)」という読みも考えられるが、用例は確認できず、雄と違って種雌牛も「しゅしぎゅう」ではなく「たねめすうし」と訓読みする[10]。古語としては「女牛[11]」「牸牛(めうし)」の表記もあるものの、現代語として見ることは無い。
- 英語ではcow、ラテン語では "vacca"という。
なお、牡、牝はウマにも用いられる特殊な字である。
家畜としてのウシ[編集]
食用等[編集]
家畜であるウシは、畜牛(ちくぎゅう)といい、その身体を食用や工業用などと多岐にわたって利用される。肉を得ることを主目的として飼養される牛を肉牛(にくぎゅう)というが、肉牛ばかりが食用になるわけでもない。牛の肉を、日本語では牛肉(ぎゅうにく)という。仔牛肉以外は外来語でビーフともいう。家畜の内臓は、畜産副産物の一つという扱いになる。日本では「もつ」あるいは「ホルモン」と呼んで食用にする。世界には食用でなくとも、内臓を様々に利用する文化がある。仔牛肉/子牛肉(こうしにく)は特に区別されていて、月齢によって「ヴィール」「カーフ」と呼び分ける。牛の脂肉を食用に精製した脂肪は牛脂(ぎゅうし)もしくはヘットという。
牛の骨すなわち牛骨(ぎゅうこつ)は、加工食品の原料や料理の食材になるほか、肥料や膠にも利用できる。ただ、ヒンドゥー教では、牛の命の消費全般をタブーとしているため、牛膠もまた、その宗教圏および信仰者においては絵画を始めとする物品の一切に用いるべきでないものとされている。牛の骨油である牛骨油(ぎゅうこつゆ)は、食用と工業用に回される。工業用牛骨油の主な用途は石鹸と蝋燭である。
牛の皮膚すなわち牛皮(ぎゅうひ、ぎゅうかわ、うしがわ)は、鞣しの工程を経て牛革に加工され、衣服(古代人の上着・ベルト・履物などから現代人の革ジャンやレーシングスーツまで)、武具(牛革張りの盾や刀剣の鞘や兜、牛革のレザーアーマーなど)、鞄など収納道具、装飾品(豪華本の表装などを含む)、調度品(革張りのソファなど)、その他の材料になる。ここでも仔牛は特に区別されており、皮革の材料としての仔牛、および、その皮革を、仔牛と同じ語でもって「カーフ」と呼ぶ。
牛乳(ぎゅうにゅう)やその加工品を得ることを主目的として飼養される牛は、乳牛(にゅうぎゅう)という。
牛糞(ぎゅうふん、うしくそ)は、肥料として広く利用されるほか、燃料や建築材料として利用する地域も少なくない(後述)。
使役[編集]
使役動物としての牛は役牛(えきぎゅう)といい、古来から、自動車に置き換わるまで先進国においても近年まで、馬とともに人類に広く利用されてきた。農耕用と、直接の乗用も含む人および物品の運搬用の、動力としての利用が主である。農耕のための牛は耕牛(こうぎゅう)という。運搬用というのは主に牛車(ぎゅうしゃ、うしぐるま)[注釈 1]用であるが、古来中国などではそれに限らない。
土壌改良[編集]
痩せた土地に家畜を放し、他所から運び込んだ自然の飼料で飼養することによって土壌改良を図る方法があり、体格が大きく餌の摂取量も排泄量も多い牛は、このような目的をもった放牧に打ってつけの家畜でもある。
娯楽[編集]
牛を娯楽に利用する文化は、世界を見渡せば散見される。牛同士を闘わせるのは、アジアの一部の国・地域(日本、朝鮮、オマーンなど)における伝統的娯楽で、これを闘牛(とうぎゅう)という。暴れ牛と剣士を闘わせるのは、西ゴート王国に始まり、イベリア半島を中心に伝統的に行われてきたブラッドスポーツの一種で、これも日本語では闘牛という。暴れ牛と闘う剣士を闘牛士というが、対等の闘いではなく、絶対的有利な立場にある剣士が華麗な身のこなしと殺しを披露する見世物である。18世紀ごろのイギリスでは、牡牛と犬を闘わせる見世物として「牛いじめ(ブルベイティング、英:bullbaiting)」が流行し、牡牛(ブル)と闘うよう品種改良された犬、すなわち「ブルドッグ」が、現在のブルドッグの原形として登場した。このブラッドスポーツは残酷だとして1835年に禁止され、姿を消している。危険な暴れ牛や暴れ馬の背に乗ってみせるのは、北アメリカで発祥したロデオで、競技化しており、アメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア、および、南アメリカの幾つかの国で盛んに興行が打たれている。
外科的処置と動物福祉[編集]
去勢[編集]
雄牛を去勢しないで肥育した場合、キメが粗くて硬く、消費者に好まれない牛肉に仕上がる。また去勢しない雄牛を牛舎内で群飼すると、牛同士の闘争が激しくなり、ケガが発生しやすく肉質の低下にもつながる。こういった理由から、肉用に飼育されるオスは一般的に去勢される。去勢の方法は、陰嚢を切開して、精索と血管を何度か捻りながら、引いてちぎる観血去勢法、皮膚の上からバルザックやゴムリングを用いて挫滅、壊死させる無血去勢法が一般的で、特別な場合を除いて、麻酔は行われない。日本も加盟するOIEの肉用牛の動物福祉規約[12]には3ヶ月齢より前に実施することが推奨されているが、日本の肉牛の90.9%は3ヵ月以上で去勢されている。観血去勢では術中や術後の消毒不足や敷料等が傷口に入ることで化膿や肉芽腫の形成等が見られることがある[13]。
利用[編集]
食用[編集]
肉は牛肉として、また乳は牛乳として、それぞれ食用となる。食用は牛の最も重要な用途であり、肉・乳ともに人類の重要な食料供給源の一つとなってきた。牛乳も牛肉も、そのまま食用とされるだけでなく、乳製品や各種食品などに加工される原料となることも多い。
年老いて乳の出が悪くなった乳牛の経産牛は、肉質は硬くなって低下し、体も痩せ細ってしまう[14]。21世紀初期の日本の場合、こういった個体は廃用牛の扱いを受け、安値でペットフード用など人間向けの食用以外に回されるのが一般的である。しかし、再肥育して肉質を高めることで[注釈 2]人間向けの食用牛としての市場価値を“再生”させることに成功している業者もいるにはいる。
皮革[編集]
生薬[編集]
胆石は牛黄(ごおう)という生薬で、漢方薬の薬材[注釈 3]。解熱、鎮痙、強心などの効能がある。救心、六神丸などの、動悸・息切れ・気付けを効能とする医薬品の主成分となっている。日本薬局方に収録されている生薬である。
牛の胆石は、人為的ではない状態では千頭に一頭の割合でしか発見されない、と言われていたため[15]、大規模で食肉加工する設備を有する国が牛黄の主産国となっている。オーストラリア、アメリカ、ブラジル、インドなどの国がそうである。ただし、BSEの問題で北米産の牛黄は事実上、使用禁止となっていることと、中国需要の高まりで、牛黄の国際価格は上げ基調である。
現在では、牛を殺さずに胆汁を取り出して体外で結石を合成したり、外科的手法で牛の胆嚢内に結石の原因菌を注入して確実に結石を生成させる、「人工牛黄」または「培養牛黄」が安価な生薬として普及しつつある。
牛糞[編集]
糞は肥料にされる。与えられた飼料により肥料成分は異なってくるが、総じて肥料成分は低い。肥料としての効果よりも、堆肥のような土壌改良の効果の方が期待できる。また、堆肥化して利用することも多い。園芸店などで普通に市販されている。
乾燥地域では牛糞がよく乾燥するため、燃料に使われる。森林資源に乏しいモンゴル高原では、牛糞は貴重な燃料になる。またエネルギー資源の多様化の流れから、牛糞から得られるメタンガスによるバイオマス発電への利用などが模索されており、スウェーデンなどでは実用化が進んでいる。
また、インドなどの発展途上国では牛糞を円形にして壁に貼り付け、一週間ほど乾燥させて牛糞ケーキを作製し、燃料として用いている(匂いもなく、火力も強い)[16]。
アフリカなどでは住居内の室温の上昇を避けるために、牛糞を住居の壁や屋根に塗ることがある。
胆汁[編集]
水彩画では胆汁をぼかし・にじみ用の界面活性剤として用いる。
タウリン(taurine)は牛の胆汁から発見されたため、ラテン語で雄牛を意味する「タウルス(taurus)」から命名された。
歴史[編集]
世界[編集]
ウシは新石器時代に西アジアとインドで野生のオーロックスが別個に家畜化されて生まれた。学説としては、西アジアで家畜化されたものが他地域に広がったという一元説が長く有力であった[17][18]。ところが、1990年代になされたミトコンドリアDNAを使った系統分析で、現生のウシがインド系のゼブ牛と北方系のタウルス牛に大きく分かれ、その分岐時期が20万年前から100万年前と推定された。これは、せいぜい1万年前とされるウシの家畜化時期よりはるかに古い。そこで、オーロックスにもとからあった二系統が、人類によって別々に家畜化された結果、今あるゼブ牛、タウルス牛となったという二元説が広く支持されている[19][20]。
ウシは、亜種関係のゼブ牛・タウルス牛の間はもとより、原種のオーロックスとも問題なく子孫を残せるので、家畜化された後に各地で交雑が起こった。遺伝子分析によれば、ヨーロッパの牛にはその地のオーロックスの遺伝子が入り込んでいる。東南アジアとアフリカの牛は、ゼブ牛とタウルス牛の子孫である[21]。さらに、東南アジア島嶼部のウシには、別種だがウシとの交雑が可能なこともあるバンテンの遺伝子が認められる[22]。
ウシの家畜化は、ヤギやヒツジと比べて遅れた。オーロックスは獰猛で巨大な生物であったので、小型の動物で飼育に習熟してはじめて家畜化に成功したと考えられている。しかしいったん家畜化されると、ウシはその有用性によって牧畜の中心的存在となった。やがて成立したエジプト文明やメソポタミア文明、インダス文明においてウシは農耕用や牽引用の動力として重要であり、また各種の祭式にも使用された。紀元前6世紀初頭にはメソポタミアにおいてプラウ(犁)が発明され、その牽引力としてウシはさらに役畜としての重要度を増した。このプラウ使用はこれ以降の各地の文明にも伝播した。
ウシはやがて世界の各地へと広がっていった。ヨーロッパではウシは珍重され、最も重要な家畜とされていた。8世紀後半ごろには車輪付きのプラウが開発され、またくびきの形に改良が加わることで牽引力としての牛はさらに重要となった[23]。牛肉はヨーロッパ全域で食用とされ、中世の食用肉のおよそ3分の2は牛肉で占められていた[24]。ヨーロッパ北部では食用油脂の中心はバターであり、また牛乳も盛んに飲用された[25]。ヨーロッパ南部では食用油脂の中心はオリーブオイルであり、牛乳の飲用もさほど盛んでなかったが、牛肉は北部と比べ盛んに食用とされた[26]。
アフリカにおいてはツェツェバエの害などによって伝播が阻害されたものの、紀元前1500年ごろにはギニアのフータ・ジャロン山地でツェツェバエに耐性のある種が選抜され[27]、西アフリカからヴィクトリア湖畔にかけては紀元前500年頃までにはウシの飼育が広がっていた[28]。インドにおいてはバラモン教時代はウシは食用となっていたが、ヒンドゥー教への転換が進む中でウシが神聖視されるようになり、ウシの肉を食用とすることを禁じるようになった。しかし、乳製品や農耕用としての需要からウシは飼育され続け、世界有数の飼育国であり続けることとなった。
新大陸にはオーロックスが存在せず、1494年にクリストファー・コロンブスによって持ち込まれたのが始まりである。新大陸の気候風土にウシは適合し、各地で飼育されるようになった[29]。とくにアルゼンチンのパンパにおいては、持ち込まれた牛の群れが野生化し、19世紀後半には1,500万頭から2,000万頭にも達した。このウシの群れに依存する人々はガウチョと呼ばれ、アルゼンチンやウルグアイの歴史上重要な役割を果たしたが、19世紀後半にパンパ全域が牧場化し野生のウシの群れが消滅すると姿を消した。北アメリカ大陸においてもウシは急速に広がり、19世紀後半には大陸横断鉄道の開通によってウシを鉄道駅にまで移送し市場であるアメリカ東部へと送り出す姿が見られるようになった。この移送を行う牧童はカウボーイと呼ばれ、ウシの大規模陸送がすたれたのちもその独自の文化はアメリカ文化の象徴となっている。
1880年代には冷凍船が開発され、遠距離間の牛肉の輸送が可能となった。これはアルゼンチンやウルグアイにおいて牧場の大規模化や効率化をもたらし、牛肉輸出は両国の基幹産業となった[29]。また、鉄道の発達によって牛乳を農家から大都市の市場へと迅速に大量に供給することが可能になったうえ、ルイ・パスツールによって低温殺菌法(パスチャライゼーション)が開発され、さらに冷蔵技術も進歩したことで、チーズやバターなどの乳製品に加工することなくそのまま牛乳を飲む習慣が一般化した[30]。こうした技術の発展によって、ウシの利用はますます増加し、頭数も増加していった。
日本列島[編集]
日本列島では東京都港区の伊皿子貝塚から弥生時代の牛骨が出土したとされるが、後代の混入の可能性も指摘される[31]。日本のウシは、中国大陸から持ち込まれたと考えられている。古墳時代前期にも確実な牛骨の出土はないが、牛を形象した埴輪が存在しているため、この頃には飼育が始まっていたと考えられている。古墳後期(5世紀)には奈良県御所市の南郷遺跡から牛骨が出土しており、最古の資料とされる。
当初から日本では役畜や牛車の牽引としての使用が主であったが、牛肉も食されていたほか、牛角・牛皮や骨髄の利用も行われていたと考えられている。675年に天武天皇は、牛、馬、犬、猿、鶏の肉食を禁じた。禁止令発出後もウシの肉はしばしば食されていたものの、禁止令は以後も鎌倉時代初期に至るまで繰り返して発出され[32]、やがて肉食は農耕に害をもたらす行為とみなされ、肉食そのものが穢れであるとの考え方が広がり、牛肉食はすたれていった。8世紀から10世紀ごろにかけては酪や、蘇、醍醐といった乳製品が製造されていたが、朝廷の衰微とともに製造も途絶え、以後日本では明治時代に至るまで乳製品の製造・使用は行われなかった。
また、広島県の草戸千軒町遺跡出土の頭骨のない牛の出土事例などから頭骨を用いた祭祀用途も想定されており、馬が特定の権力者と結びつき丁重に埋葬される事例が見られるのに対し、牛の埋葬事例は見られないことが指摘されている。
古代の日本では総じて牛より馬の数が多かった[33]。平安時代の『延喜式』では、東国すべての国で蘇が貢納されており、牛の分布の地域差は大きくなかったようである[34]。ところが中世に入ると馬は東国、牛は西国という地域差が生まれた。東国では武士団の勃興に伴い馬が主体の家畜構成になったと考えられている[35]。東西の地域差は明治時代のはじめまで続いており、明治初期の統計では、伊勢湾と若狭湾を結ぶ線を境として東が馬、西が牛という状況が見て取れる[36]。
牛肉食は公的には禁忌となったものの、実際には細々と食べ続けられていたと考えられている。戦国時代にはポルトガルの宣教師たちによって牛肉食の習慣が一部に持ち込まれ、キリシタン大名の高山右近らが牛肉を振舞ったとの記録もある[37]ものの、禁忌であるとの思想を覆すまでにはいたらず、キリスト教が排斥されるに伴い牛肉食は再びすたれた。江戸時代には生類憐みの令によってさらに肉食の禁忌は強まったが、大都市にあったももんじ屋と呼ばれる獣肉店ではウシも販売され、また彦根藩は幕府への献上品として牛肉を献上しているなど、まったく途絶えてしまったというわけではなかった[38]。しかし、日本においてウシの主要な用途はあくまでも役牛としての利用であり続けた。
日本においてウシが公然と食されるようになるのは明治時代である。文明開化によって欧米の文化が流入する中、欧米の重要な食文化である牛肉食もまた流れ込み、銀座において牛鍋屋が人気を博すなど、次第に牛肉食も市民権を得ていった。また、乳製品の利用・製造も復活した。
参考文献[編集]
- Wikipedia:ウシ(最終閲覧日:23-01-17)
- ブリュノ・ロリウー, 2003-10, 中世ヨーロッパ食の生活史, 吉田春美, 原書房
- 市川健夫, 市川健夫先生著作集刊行会, 牛馬と人の文化誌, 日本列島の風土と文化:市川健夫著作選集, volume3, 第一企画, 2010, isbn:978-4-90-267615-0
- 初出は『地理』第20巻第11号、1975年11月、「文化地理の指標としての家畜」。
- 品種改良の世界史 家畜編, 正田陽一, 悠書館, 2010-11, 松川正, isbn:978-4-90-348740-3
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
注釈[編集]
参照[編集]
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- ↑ https://www.sankei.com/article/20170530-E73SSIK34RO5HARHJ6NWQQ5LKU/, インド政府、「牛の幸福のため」牛肉規制 家畜市場での肉牛売買禁止、一部の州やイスラム教徒は反発, 産経新聞ニュース, 2017年5月30日
- ↑ https://www.sankei.com/article/20170711-GMXZBG6PGJPHTBSFA2RYF273SE/, 牛売買禁止令を差し止め インド最高裁 モディ政権に打撃, 産経新聞ニュース, 2017年7月11日
- ↑ https://www.sankei.com/article/20170706-3OWBECV5DJNXBN3ZPO2QD6EZ4Q/, インドで「牛肉殺人」多発 モディ首相「誰も牛の名のもとに人を殺してはならない」, 産経新聞ニュース, 2017年7月6日
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- ↑ https://kotobank.jp/word/牡牛・雄牛-216949, 牡牛・雄牛 おうし, コトバンク, 小学館『精選版 日本国語大辞典』、三省堂『大辞林』第3版, 2019-08-04
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- ↑ 市川, 2010, pp4-5
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- ↑ 本山荻舟 『飲食事典』 平凡社、1958年12月25日、160頁。
- ↑ 原田信男編著 『江戸の料理と食生活:ヴィジュアル日本生活史』 小学館、2004年6月20日第1版第1刷、87頁。