神八井耳命

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神八井耳命(かんやいみみのみこと[1])は、記紀等に伝わる古代日本の皇族。

初代神武天皇の皇子で、一般に第2代綏靖天皇の同母兄とされるが、この系譜については異説もある。多臣(多氏)及びその同族の祖とされる。

系譜

『日本書紀』によれば神武天皇媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと、事代主神の娘)との間に生まれた皇子とされ、『古事記』でも母親を比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ、大物主神の娘)とする。

『日本書紀』では、同母弟に神渟名川耳尊(神沼河耳命、第2代綏靖天皇)を、『古事記』では加えて同母兄に日子八井命(日本書紀なし)の名を挙げる。

『新撰姓氏録』右京皇別 茨田連条や『阿蘇家略系譜』では、日子八井命(彦八井耳命)を神八井耳命の子とする異説が掲載されている[2]

記録

『日本書紀』綏靖天皇即位前紀によれば、朝政の経験に長けていた庶兄の手研耳命(たぎしみみのみこと)は、皇位に就くため弟の神八井耳命・神渟名川耳尊を害そうとした(タギシミミの反逆)。この陰謀を知った神八井耳・神渟名川耳兄弟は、己卯年[3]11月に片丘(奈良県北葛城郡王寺町・香芝町・上牧町付近か[4])の大室に臥せっていた手研耳を襲い、これを討った。この際、神八井耳は手足が震えて矢を射ることができず、代わりに神渟名川耳が射て殺したという。神八井耳はこの失態を深く恥じ、弟に皇位をすすめ(第2代綏靖天皇)、自分は天皇を助けて神祇を掌ることとなった。そして神八井耳は綏靖天皇4年4月に薨去したという[5][6]

『古事記』においても同様の説話が記されている。

墓・霊廟

墓は不詳。『日本書紀』では、神八井耳命は「畝傍山北」に葬られたと記されている[7]。畝傍山の北に所在する八幡神社(奈良県橿原市山本町152)社伝では、同社は神八井耳命の墓の所在地であるといい、古くは「八井神社」と称されたとする。

また、多氏の氏神社である多坐弥志理都比古神社(奈良県磯城郡田原本町)、その末裔の皇別の志貴県主の総社で式内社である志貴県主神社(大阪府藤井寺市)を始めとする諸社で、命の霊が祀られている。

後裔

氏族

『日本書紀』では、神八井耳命について多臣(多氏)の祖と記している[8]

また『古事記』では、意富臣・小子部連・坂合部連・火君・大分君阿蘇君・筑紫三家連・雀部臣・雀部造・小長谷造・都祁直・伊余国造・科野国造・道奥石城国造[9]・常道仲国造・長狭国造・伊勢船木直・尾張丹羽臣・嶋田臣ら19氏の祖とする[10]

『先代旧事本紀』「天皇本紀」では後裔として意保臣(多臣)、島田臣、雀部造が挙げられている。

そのほか『新撰姓氏録』では、次の氏族が後裔として記載されている[11]

  • 左京皇別 多朝臣 - 出自は諡神武の皇子の神八井耳命の後。
  • 左京皇別 小子部宿禰 - 多朝臣同祖[12]。神八井耳の後。
  • 右京皇別 島田臣 - 多朝臣同祖。神八井耳命の後。同条では五世孫に武恵賀前命、七世孫に仲臣子上の名を挙げる。
  • 右京皇別 茨田連 - 多朝臣同祖。神八井耳命男の彦八井耳命の後。→ 茨田衫子
  • 右京皇別 志紀 - 多朝臣同祖。神八井耳命の後。
  • 右京皇別 薗部 - 同氏。
  • 右京皇別 - 同氏。
  • 大和国皇別 - 多朝臣同祖。神八井耳命の後。
  • 河内国皇別 志紀県主 - 多同祖。神八井耳命の後。
  • 河内国皇別 紺口県主 - 志紀県主同祖。神八井耳命の後。
  • 河内国皇別 志紀首 - 志紀県主同祖。神八井耳命の後。
  • 和泉国皇別 雀部臣 - 多朝臣同祖。神八井耳命の後。
  • 和泉国皇別 小子部連 - 同神八井耳命の後。
  • 和泉国皇別 志紀県主 - 雀部臣同祖。

国造

前述のように、『古事記』では伊余国造科野国造道奥石城国造常道仲国造長狭国造の祖とする。

先代旧事本紀』「国造本紀」では、次の国造が後裔として記載されている。

上記のほか、同書では伊余国造には印旛国造同祖敷桁彦命の子速後上命仲国造には伊余国造同祖建借馬命、阿蘇国造同祖の火国造には大分国造同祖志貴多奈彦命の子建男組命が定められたとされる。

人物

続日本後紀』及び『日本三代実録』では以下の人物が神八井耳命の後裔と記されている。

神八井耳命を祀る主な神社

以下は、現在の祭神は神八井耳命ではないが、ゆかりがあるともされる神社である。

  • 大井神社(茨城県水戸市飯富町) ※式内社論社 - 祭神は初代仲国造建借馬命であるが、その先祖である神八井耳命であったという説もある。
  • 大生神社(茨城県潮来市大生) - 多神社から遷座したという説がある。
  • 麻賀多神社奥宮(千葉県成田市船形) ※式内社 - 神八井耳命の裔で初代印波国造の伊都許利命を祀る境外社があり、その墳墓とされる古墳もある。
  • 飽富神社(千葉県袖ケ浦市飯富) ※式内社 - 神八井耳命が創建したと伝承される。
  • 長谷神社(長谷寺鎮守)(長野県長野市篠ノ井塩崎) ※式内社 - 祭神の「八聖大神」は神八井耳命の孫であると伝承される。
  • 大縣神社(愛知県犬山市宮山) ※式内社 - 祭神の「大縣大神」は神八井耳命の孫で迩波縣君の祖の武恵賀前命であるという説がある。
  • 意非多神社(三重県松阪市西黒部町) ※式内社 - 神八井耳命の後裔の多氏の人々が創建したとされる。
  • 黒田神社(大阪府藤井寺市北條町) ※式内社 - 神八井耳命のかくし廟所であると伝承される。
  • 八幡神社(八井神社)(奈良県橿原市山本町) - 神八井耳命の墓所であると伝承される。
  • 伊予神社(愛媛県伊予郡松前町神崎) ※式内社論社 - 神八井耳命の裔で初代伊余国造の速後上命(速後神命)が祀られる。
  • 健軍神社(熊本県熊本市東区健軍本町) - 神八井耳命の裔で初代火国造の健緒組命(健軍大神)が祀られる。
  • 高千穂神社宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井) - 祭神の「高知尾(明神)」は神八井耳命の別名であるという説がある。
  • 槵觸神社(宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井) - 同上。

参考文献

関連項目

  • 日子八井命(彦八井耳命) - 神八井耳命の兄弟、子、同一人物との説がある。また、阿蘇神社に祀られる國龍神であるとの説もある。

参照

  1. 神八井耳命(古代氏族)(2010年(平成22年))、生年不詳 - 綏靖天皇4年4月)
  2. 「日子八井命」『日本古代氏族人名辞典 普及版』吉川弘文館、2010年。
  3. 己卯年は神武天皇崩御年(神武天皇76年:丙子年)の3年後、綏靖天皇即位年(庚辰年)の前年にあたる。
  4. 手研耳命(古代氏族), 2010年(平成22年)
  5. 神八井耳命(古代氏族), 2010年(平成22年)
  6. 手研耳命(古代氏族), 2010年(平成22年)
  7. 神八井耳命(古代氏族), 2010年(平成22年)
  8. 神八井耳命(古代氏族), 2010年(平成22年)
  9. 『先代旧事本紀』「国造本紀」では、石城国造の初代は天津彦根命の子孫とされる建許侶命とされている。
  10. 神八井耳命(古代氏族), 2010年(平成22年)
  11. 神八井耳命(古代氏族), 2010年(平成22年)
  12. 同祖
  13. 『国造制の研究 -史料編・論考編-』(八木書店、2013年(平成25年))p. 187。
  14. 『国造制の研究 -史料編・論考編-』(八木書店、2013年(平成25年))p. 211。
  15. 『国造制の研究 -史料編・論考編-』(八木書店、2013年(平成25年))p. 281。
  16. 『続日本後紀』承和8年4月5日条。県連を賜姓された。
  17. 『日本三代実録』貞観4年2月23日条。宿禰に改姓された。
  18. 『日本三代実録』貞観5年9月5日条。宿禰に改姓された。
  19. 『日本三代実録』貞観5年9月5日条。大朝臣を賜姓された。
  20. 神八井耳命大麻を祀った留辺志部神社は、明治39年に愛知県からの入植者が建立し、大正14年に妙見宮相馬神社仮宮と合祀したという。「令和2年度 大上川神社例大祭のお知らせ」。
  21. 神名帳考証』において於呂閇志神社の祭神は彦八井耳命とされているが(本文)、これは、伴信友神名帳考証土代』によると『新撰姓氏録』で彦八井耳命の後裔とされる「河内国皇別下家連」の「下家」を「おろしへ」と訓み、於呂閇志(おろへし)神社と関連付けられたためである(本文)。また、同書では『古事記』の道奥石城国造の祖が神八井耳命であったという記事を挙げているが、於呂閇志神社のある胆沢郡石城地方はかなり離れている。本来は於呂閇志神社は後世に強引に結び付けられた彦八井耳命・神八井耳命とは無関係であったのであろう。なお、明治4年に於呂閇志神社と胆沢川神社が合祀され於呂閇志胆沢川神社となった。
  22. 熊本県天草地方には阿蘇十二神天照大神神武天皇と共に神八井耳命を祀る神社が多くある(「天草の神社・祭神(googleキャッシュ)」天草Webの駅)。