鼠大明神
長野県上田市と埴科郡坂城町との境付近に岩鼻(いわばな)という名勝がある。千曲川(長野県における信濃川の呼称)の両岸を崖同士が向き合う。右岸の崖は上田市と坂城町の境に在るが左岸の崖は上田市に在り坂城町との境からは離れている。長野県の天然記念物である。『源平盛衰記』で塩尻狭と記された場所であり、古くは岩端、岩花、巖華とも書いた[1]。
伝承
かつて岩鼻より上流が湖だったことに由来すると伝わる地名がある。岩鼻近くに見える「塩尻」という地名は、かつての湖の北端を意味する「潮尻」に由来するとされ、また南佐久郡に見える「海の口」、「海尻」、「海瀬」といった地名は湖の南端に位置していたことに由来するとされる[1]。
また、当地には大ネズミによって岩鼻が破られたことで、これより上流に存在した湖が失われたとする伝承がある[1]。そのあらすじは次の通りである[1]。
- かつて多くの子ネズミを従える大ネズミが村に住みつき、田畑を荒らし回っていた。困った村人たちは大きなネコ(唐猫)をけしかけ、大ネズミを岸壁まで追い詰める。大ネズミは死に物狂いで岩壁を食い破ると、湖の水がほとばしり、大ネズミや子ネズミ、そして唐猫ともども流れ去った。
岩鼻付近には「鼠」という地名があり、一説にはこの伝承に由来すると考えられている[1](かつて信濃国の国府への狼煙台があった場所、すなわち「不寝見」に由来するという異説もある)[2]。鼠大神という神が、大穴持命(おおなむらのみこと)として千曲川の傍に鎮座していたが、現在は會地早雄神社(おおじはやおじんじゃ)に合祀されている[3]。 また、伝承の中で大ネズミを追い詰めた唐猫が流れ着き、息絶えた場所である長野市篠ノ井には、「唐猫神社」(軻良根古神社)という、唐猫をまつった神社がある[1][4]
このほか、ダイダラボッチや小泉小太郎が岩鼻を破ったという民話もある。前者は日本の各地に伝わる巨人で、山や湖の成因にまつわる民話が多く残されている[5][6]。後者は上田地域に伝わる民話の主人公で、人間と大蛇との間に生まれた少年である[7]。かつて湖だった松本盆地を開拓したと伝わる泉小太郎(松本地域・北アルプス地域の民話)と同一視され、1973年(昭和48年)発行の『日本の民話 4 民衆の英雄』には、小泉小太郎が松本盆地の開拓後に岩鼻を破り、上田盆地も開拓したとある[8](ただし、作家の松谷みよ子は、小泉小太郎がこうした偉業を成し遂げたという類いの民話を上田地域において採取することはできなかったと述べている[9])。
参考文献
参照
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 『日本伝説叢書 信濃の巻』[NDLDC:953569/105 155] - [NDLDC:953569/107 159ページ]。
- ↑ 『角川日本地名大辞典 20 長野県』874ページ。
- ↑ 會地早雄神社の大穴持命以外の祭神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、泉津事解男命(よもつことさかのうのみこと)、速玉男命(はやたまのおのみこと)とされていて熊野系の神々が祀られている。會地早雄というのは諏訪系の出早雄命かあるいは賀茂系の味耜高彦根神であると考える。熊野に関連するなら、かつては熊野の家都御子神(けつみこのかみ)が味耜高彦根神と考えられていたこともあったかもしれないと思う。(少なくとも高野御子は味耜高彦根神のことだと管理人は考えている。)でも、どのみち、出早雄命も味耜高彦根神も須佐之男も「同じ神」とすることが可能な神々群と思う。熊野といえば修験道であるが、鼠大明神や會地早雄神社には四阿山(あずまやさん)を中心とした修験道を保護した真田氏の影響や関連があるのではないか、と思う。鼠宿は松代藩の口留番所(くちどめばんしょ)と藩主専用の本陣(普通の宿では本陣に当たるものを「御茶屋」と称し、諸大名などが通る時は御本陣と名乗っていた)が置かれたことから始まった私設の宿である。松代藩の藩主は真田氏である。(管理人)
- ↑ 長野県神社庁「軻良根古神社」より(2015年11月13日閲覧)。
- ↑ 『佐久口碑伝説集 北佐久編』105ページ。
- ↑ デジタル大辞泉プラス「だいだらぼっち」より(2015年11月13日閲覧)。
- ↑ 『小県郡史 余篇』NDLDC:965787/36 46 - 47ページ]。
- ↑ 『日本の民話 4 民衆の英雄』6 - 15ページ。
- ↑ 『講談社現代新書 370 民話の世界』37 - 38ページ。