神阿多都比売

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神阿多都比売(かみあたつひめ)は、日本神話に登場する神。木花之佐久夜毘売の別名とされる。古事記に登場する。

概要

神名は、「阿多」を南九州の地名とみて、阿多の地の姫の意と考えられている。「神」は尊称、「都」は助詞とされる。南九州は隼人族の住んだ土地であり、この神の子のうちの一柱、火照命が隼人阿多君の祖であることから、元来は阿多の地を本拠とする隼人族が奉斎した神とみる説がある。

地名の阿多は、薩摩国に阿多郡(『和名類聚抄』二十巻本)があり、薩摩半島の西海岸地帯、およそ今の鹿児島県南さつま市に当たっているが、八世紀初め頃に薩摩国が置かれる以前には、「阿多」は薩摩半島地域の総称に相当したとされる。また、邇々芸命がこの神と出会った「笠沙御前(かささのみさき)」は、『日本書紀』に「吾田の長屋の笠狭の碕」とあり、今の南さつま市の野間岬に比定される。

『日本書紀』九段では「鹿葦津姫(かしつひめ)」(本書)、「神吾田津姫(かむあたつひめ)」(本書)、「神吾田鹿葦津姫(かむあたかしつひめ)」(一書二・三)、「吾田鹿葦津姫(あたかしつひめ)」(一書五)、「豊吾田津姫(とよあたつひめ)」(一書六)、「吾田津姫(あたつひめ)」(一書七)という神名で見え、アタやカ(鹿)シ(葦)が神名の中核になっている。カシは、加志氏という大隅国の隼人の存在(『続日本紀』)から、九州南部にあった地名であろうと考えられている。

阿多と王権との結びつきは、阿多の小椅君の妹で神武天皇の妻となった阿比良比売の存在も指摘されている。

なお、この神にまつわる神話は、前半の、天皇の寿命が短いことの由来を語る短命起源譚と、後半の、木花之佐久夜毘売が一夜で懐妊し火の中で子供を生んだ火中出生譚とに分けられるが、本来は別々の伝承であったとする見方がされている。「神阿多都比売」と「木花之佐久夜毘売」という二つの名前は、本来は元のそれぞれの伝承に登場する別の神であったのが、王権のもとで伝承が結合されて、同一神の別名という扱いになった結果を示しているといわれ、「神阿多都比売」は、後半の婚姻から火中出生譚に伴って伝えられた神格で、「木花之佐久夜毘売」という神名や、神話前半部分にあたる天皇短命起源譚とは無関係であったと考えられている[1]

祀る神社

阿良須神社・福知山市

福知山市大江町にある神社。祭神は神吾田津姫命(木花開耶姫)。

天孫邇邇芸命が日向の高千穂峯に天降りされた後、吾田(あた)の笠紗(かささ)の岬で絶世の美人に出会った。「誰れの娘か」と問われると、大山津見神の娘で名は神阿多都比売、またの名を木花之佐久夜毘売」と答えられた。(古事記より)

当地は、海人族の祖神・天火明命が飢えてこの地に来た時、この土地の神に助けられ、蟻に導かれて飢えをしのいだことから、この土神に蟻道彦大食持命という称号を与えたという。よって、この地にある神祠が蟻巣と言われ、転訛して阿良須となったという[2]

十倉神社

福知山市大江町南有路にある神社。祭神は神吾田津姫命(木花開耶姫)。「由良川」中流域の南岸、大江町「南有路」に鎮座する社。「十倉山」が背後にある。

有路には、十倉神社という宮さんが五つある。これは兄弟が五人あって、一番上が野上、二番目が阿良須、三番目が矢津、四番目が五日市、五番目が二カ村にまつってあるということだ。祭神は五つとも『木花さくやひめ』という女神である。この五つの内一番大きなのが阿良須神社で、式内社になっている。(大江町風土記)

とのことである。

参考文献

関連項目

脚注

  1. 神阿多都比売、國學院大學「古典文化学」事業(最終閲覧日:24-12-21)
  2. 阿良須神社、玄松子(最終閲覧日:24-12-21)