鎮花祭

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鎮花祭(ちんかさい)とは、奈良県桜井市の大神神社とその摂社である狭井神社(さいじんじゃ)で毎年 4月18日に行なわれ、行疫神(ぎょうやくじん)の大神(おおみわ)・狭井(さい)の二神をまつった行事。「はなしずめのまつり」ともいう。奈良時代の『令義解』にもこの両社で行なうことが記されている春の祭りで,古代においては朝廷の神祇官によって行なわれる国家的祭祀であった。花の散る頃に疫病神も分散して疫病をはやらせると考えられていたことから,それをしずめるために行なわれるようになった。大神神社と狭井神社で行なわれるのは,崇神天皇の治世に疫病が流行した際に,大神神社の祭神である大物主神をまつったところ疫病がやんだことによると伝えられる。今日では薬祭りとも呼ばれ,奈良県内はもちろん全国の薬業関係者が参集し,神饌として薬草でもあるユリの根とスイカズラを供えて,まず大神神社,次いで狭井神社で神事に臨む。同様の祭りには,平安時代に始まったと伝えられ,今日では毎年 4月第2日曜日に行なわれている,京都市北区紫野の今宮神社のやすらい祭などがある。

大神神社

主祭神は大物主大神。

大己貴神の別名である大物主神は蛇神であると考えられ、水神または雷神としての性格を合わせ持ち、稲作豊穣、疫病除け、醸造などの神として特段篤い信仰を集めている。また日本の守護神、氏族神(三輪氏の祖神)である一方で祟りなす強力な神ともされている。

崇神天皇が天変地異や疫病の流行に悩んでいると、夢に大物主が現れ、「こは我が心ぞ。意富多多泥古(大田田根子)をもちて、我が御魂を祭らしむれば、神の気起こらず、国安らかに平らぎなむ」と告げた。意富多多泥古の祖先とされる活玉依毘売[1]のもとに毎晩麗しい男が夜這いに来て、それからすぐに身篭った。しかし不審に思った父母が問いつめた所、活玉依毘売は、名前も知らない立派な男が夜毎にやって来ることを告白した。父母はその男の正体を知りたいと思い、糸巻き(苧環)に巻いた麻糸を針に通し、針をその男の衣の裾に通すように教えた。翌朝、針につけた糸は戸の鍵穴から抜け出ており、糸をたどると三輪山の社まで続いていた。糸巻きには糸が3回りだけ残っていたので、「三輪」と呼ぶようになったという。

天皇は早速、意富多多泥古を捜し出し、三輪山で祭祀を行わせたところ、天変地異も疫病も収まったという。これが現在の大神神社である。『日本書紀』では、崇神天皇が大物主から夢で直接に神託を得るまでの亀卜や沐浴斎戒、宮殿内部の潔浄と言った祭祀の過程と内容が詳細に記され、天変地異が収まった翌年に大神神社に奉る酒の管掌に高橋邑の人活日が任命されている。なお、『古事記』では、三輪大神は意富美和之大神とされる。

参考文献

  • コトバンク:鎮花祭、精選版 日本国語大辞典、ブリタニカ国際大百科事典小項目事典(最終閲覧日:24-12-10)
  • Wikipedia:大物主(最終閲覧日:24-12-11)
  • 系図に起こすと、陶津耳命ー活玉依毘売ー櫛御方命ー飯肩巣見命ー建甕槌命ー意富多多根古となる。