矢加美神社

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矢加美神社は長野市信更町安庭にある神社。祭神は熊野権現。

由緒

応神天皇の宮に通じる「王神社王神さま」とよばれてきた。布施平林郷安庭村の産土神としてまつった。御神体は銅鏡で、建徳二年(一三七一)源義国による奉納と刻まれている。現存する社殿は室町時代応永年間(一三九四~一四二八)に建造されたもの。天文(てんぶん)年間(一五三二~五五)、領主平林肥後守はあつく崇敬し寄進もおこなった。天保(てんぽう)九年(一八三八)現社号に改称した。現在の佐屋殿、拝殿は昭和三十三年に改築したものである。近くに旧安庭村の道路元標(げんぴょう)がある[1]

この社は古くから応神天皇の宮に相通じる「王神社」「王神さま」と呼ばれてきた。
平安時代末期に布施平林郷安庭村の産土神として熊野権現を祀ったものとされる。ご神体は銅製の鏡で南朝建徳二年(一三七二)源義国が奉納したと刻まれている。
天保十年(一八三九)正月、社号免許を受けて矢賀美神社と改名した。
境内には手力王尊が天岩戸を背負って戸隠山へ行く途中村人たちの手厚いもてなしに感謝して印したと伝えられる「御足形石」がある。
平成二十六年四月吉日(境内内由緒書きより)

私的解説

王神社」というからには、元は多氏大氏あるいは王氏)の祖神を祀る神社だったのではないだろうか。愛知県には「大神社」という神社がある。多氏とは信濃金刺氏が出た氏族だ。

手力王尊が立ち寄ったとの伝承があり、元は手力王尊の妻的な女神を祀る神社だったとも考えられる。信濃金刺氏は、古くは出雲系の神を祖神とし、そこから派生した尾張氏系の八須良姫命を、近くにある長野市信州新町水内斉宮の健御名方冨命彦神別神社で祀っているので、こちらも元は八須良姫命を祀っていたのではないか、と考える。それが、大国主命の妻神の八上比売と名前が近く、「同じ神」と考えられて八上比売を祀っていたのではないだろうか。

八上比売は、大国主命の正妻である須勢理毘売命の嫉妬を恐れ、生まれたばかりの子を木の俣に挟んで実家のある因幡の国へ帰ってしまった、とされている。管理人の分類では「吊された女神」のうち、「逃走女神」にあてはまる。

東国における八上比売

静岡県磐田市見付にある矢奈比売神社の祭神は矢奈比売大神あるいは八野若日女命という。矢奈比売神社には、『「白羽の矢」が立った娘を生きたまま柩に入れて、8月10日の真夜中に見付天神へ供え、供えられた娘は、生贄として地響きと共に現れた怪神によって食い殺されるという恐ろしいしきたりがあった。これを破ると田畑が荒れ里が凶作に苦しむことになるため里人は泣く泣くこのしきたりを守っていた。 』という恐ろしい伝承がある。現在は『矢奈比売神社の祭神が遠江の総社である淡海國玉神社へ渡御する神事を中心とする祭で、旧暦8月10日直前の土曜・日曜に開催される。』という見付天神裸祭が行われている。矢奈比売が「白羽の矢」の娘に見立てられていることは明らかと思われる。矢奈比売を食い殺す怪物は猿の妖怪である。猿には農耕神、水神の性質があり、いわゆる「猿の嫁」の伝承は各地に見られる。「白羽の矢」の祭祀は「猿の嫁」の延長線上にあるといえる。「猿の嫁」の猿神は畑仕事を手伝う代わりに娘を嫁に求める。逆に娘を嫁にやらねば、虫害、干ばつなどの祟りを起こすと考えられたのだろう。そして、水神、農耕神の性質を持つ神としてまず考えられるのは、淡海國玉神社の主祭神である大国主命かもしれない。しかし、もう一柱候補がいるように思う。それは須波若御子神社須波若神である。

出典・注釈

  1. 更府 / 第三節 神社と寺院、長野市/長野市デジタルミュージアム ながの好奇心の森(最終閲覧日:24-11-27)