菟上王

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菟上王(うなかみのおう)は、「古事記」にみえる開化天皇の孫。

大俣王の子。比売陀(ひめだ)氏の祖。垂仁(すいにん)天皇の皇子で口のきけない本牟智和気王(ほむちわけのおう)(誉津別命(ほむつわけのみこと))に随行して,兄の曙立王(あけたつのおう)と出雲(いずも)大神の参拝にいく。帰途,皇子が口をきいたので,よろこんだ天皇の命令で出雲にひきかえし,神殿をつくったという(出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus)。

私的考察

誉津別命神話で、主人公の病の治癒に関わる神は、天甕津日女命(尾張国風土記)と出雲大神(記紀神話)である。出雲大神とは、大国主命あるいは須佐之男命のことと考える。天甕津日女命と出雲大神はいずれも「疫神」として語られる。

神話の中で、出雲大神を祭るのが菟上王天甕津日女命を祭るのが建岡の君日置氏の祖)である。とすれば、菟上王と建岡の君は同一の人物である、と仮説を立てられると感じる。彼らは天甕津日女命と大国主命(赤衾伊農意保須美比古佐和氣能命)の子神ではないのだろうか。

参考文献

  • Wikipedia:菟上王、コトバンク(最終閲覧日:24-12-12)

関連項目

脚注